カップの底に見えるもの。

「う〜ん」といつも悩むことがある。お客様に珈琲を提供する。お客様にミルクとお砂糖が必要かお伺いする。お客様は「いえ、そのままで…」と答える。お客様は各々の時間を過ごすとお会計を終わらせ店を出る。カップを下げにいく。するとたまに、偶になのだがカップの底にほんの少しの珈琲が残っている。カップの底から約2mm、量にして約8〜13ccといったところか。なにが不満なのだ…私の心はかき乱される。なにか不備があったか?サービスに問題があったか?味が悪かったのか?それとも何かの流行なのか?新しいマナーなのか?と何故ナニ?の嵐に襲われるのである。吉祥寺(もか)の標交紀氏の逸話のようにお客様の後を追いかけて問いただしたく思う時もあった。(この話には裏話があるので今回の最後にオマケで書きます)

で、そんな話をFacebookで(FBでjardinqahwah検索)ボソリと呟いたら意外な答えが返ってきたのです。

ケース1)おなかいっぱい…しばし文化の違いもしくは風習で満腹であるしるしとして少し残す場合があるようです。大陸文化では客人をもてなす時、人数の1.5倍から2倍の量を出す場合があります。客人を招き入れる心ともてなしからきた風習です。「おなかいっぱいいただきました、ありがとう」の意味で残す事あるようです。逆に言えば客側が出されたものすべてを食べてしまうということは接待側の恥ということになります。私が見た事例ではイエメンだと来客は田舎に行けばいくほど一大イベントです。滅多に食べられないご馳走やこの日のために山羊を絞めたりしてお客さんをおもてなしします。とても食べられないくらいの大量なご飯です。残ります、絶対。いや、実は残ってほしいのです。お客さんが残したご馳走は絶対捨てたりしません。大事な栄養源でありご馳走なのです。つまり、お客さんが来る→ご飯が余る→ご馳走食べれる。うれしくもあり楽しいイベントなのです。

ケース2)顔を上げるのが苦手なのでは…カップの底の珈琲を飲み干そうとするとき、首を傾けなくてはいけません。(体が固い故に)一定以上首を傾けるのが苦しい、もしくは苦手であるという意見を聞きました。だから残す。いや、むしろ残ってしまうそうです。これに関して、最初は「ああ、そんなこともあるかもね」と思ったのですが、カップを可能な限り傾ければ首は最小の傾きで済みますよね?すみませんか?…疑問です。

ケース3)はしたない…缶コーヒーの場合だと真上を向いてすする事になる。チョットはしたないから。という理由もあるそうですが、ここではレギュラーコーヒー。しかも喫茶での話なのでどうかな?と。それとはちょっとずれますが、「最期に残るちょっとの量が汚く感じる…」缶コーヒーの場合でこんな意見もみました。

ケース4)残しているのではなくて飲みかけ…ただチョットだけ周りのペースよりも遅い、またはゆっくり楽しんでいる最中なので、残しているわけではなくホントに飲みかけなんだ!むしろ下げられると心外。…確かに私も営業中は朝一番に点てたお供え珈琲の残りをチビリチビリと飲んでいます。しかも飲み終えるのは夕方。私の場合、これは完全に冷めきった珈琲の味の変化が納得いくかどうか?を実験しながら飲んでいるためにこのようなことになるのですが、いまや習慣になってしまっています。私は意識して飲みかけの状態をつくっていますが、お客様が少し残して帰るこの場合、勿論会計をすますためにレジに向かいます。と、言うことは飲み終わった証拠です。なので飲みかけはこの場合当てはまらないでしょう。

ケース5)ありがとう、美味しかったよまた来るね…というサインで残す方もいらっしゃるようです。サインを送る側と受け取る側の意志疎通の違いを感じる問題です。「人間」という文字は「人」の「間」の存在だと意識させられました。

ケース6)トラウマ…珈琲を機械で抽出した場合、カップの底に細かい粉が溜まる場合があります。また、年輩者の場合、昔の珈琲は飲みほすとカップの底に珈琲豆の粉が沈んでいるということがあったそうです。確かに飲みほす気分にはならないですよね。古い記事ですが、あるお店などはカップに挽いた粉を入れるのは恥として指導していたというのを読んだことがあります。なるほど、理由が判明しますね。しかし、ウチの店では年輩の方にこのケースが当てはまらないことが多いです。

ケース7)心の問題…今回、この連載を書くに至ってインターネットを使い検索をかけてみました。飲み物ではなく食べ物の話になりますが、「最後の一口が気持ち悪くてどうしても食べられない」というのがありました。理由は複数あり、(どんなにおなかが空いていようと、少量でも最期の一口の段階で満腹になってしまう。)(最期の一口が残飯のように思えてしまう。)など。場合や意見によっては残さずに食べる方が「いじきたない」「お里が知れる…」となってしまうようです。こればかりは意見が分かれそうですね。私なんかは少々口に合わなくても外ではキッチリ食べちゃう方ですし、ましてや洋食で最高のソースに出会ったときは嬉しくて、バケット頂き、ソースをかきとるように食べちゃいますけどねぇ。話が少し脱線して食べ物に行きましたが、飲み物でも同様に感じている人がいらっしゃるようです。

考えられるケースを思い当たるだけ調べて、まとめ、書いてみました。結局の所、提供側が思う事と受けての考えは必ずしも一致しないということですね。どんな職業でもその道のプロであるならば視点は徐々に専門的、思想的確度に傾いてしまいます。モノを提供側の角度だけから見ると時々信じられない様なコトに遭遇します。(提供側の当たり前・受けての当たり前)であると考えれば、「たかが珈琲、お客さんの体調や好みもあるさ…」と目くじらをたてる事もなし。と思うわけです。