珈琲事始め。

この場所に移転してきてもうすぐ4年。(この原稿は2008年7月の「当店ご案内」に掲載した文章を載せています)移転前を知らない方もいらっしゃると思いますので今回のモナモナムールは当店の黎明期に触れます。

オープン当時は珈琲をメインとしていましたが、スタイルは「カフェ」。12時から24時まで開いている。珈琲あり、ジュースあり、ご飯あり、アルコールありのお店でした。
オープン当初は「自家焙煎まではちょっと…」と思っており、珈琲の事も手探りで勉強していました。珈琲関連の書籍は今ほど充実してなく、どんな本を読めばいいのか、どこから勉強すればいいのか、どうすれば珈琲の事が判るのか?多くの謎と店の営業が平行していました。勉強しながら得た知識でお客さんと対話する。対話の疑問から検証していく…そんな毎日でした。当時は抽出方法もペーパードリップで3杯くらいを同時抽出していた時期もあります。多少腕に自信がついていい気になっていた若かりしあの頃です。いやあ、勢いって凄いです。

そうこうしているウチにやがて、自分が使っている(購入している)豆に疑問を持ち始めました。得てきた知識と実際に接している豆とにギャップを感じ始めていました。この頃から本格的に自家焙煎を意識し始めたように思います。疑問を抱えながらの営業中にある時、ある方から「福岡に珈琲美美というお店がある。一度行ってみると良い」とアドバイスを受け、タイミング良く日にちが取れたので福岡に行って珈琲を頂きました。

…私はかつて珈琲で2度、鈍器で殴られたような衝撃を覚えています。その一杯目は珈琲美美で頂いた「イブラヒムモカ」。なんともいえない奥ゆかしい味わい。主張してくるのに優しく消えていく後味。甘み。珈琲にこんな深い味覚と味わいがあるなんて…驚愕の一杯でした。
その頃から珈琲にふれあえる本当の喜びを感じるようになったと思います。と同時に使っていた豆への疑問は不満へと変化し始めました。「もっとこうなるんじゃないか?」「もっとこんな味わいにして欲しい」結局、私の言葉と珈琲のイメージは焙煎者には伝えきれなかったように思えます。「自分で豆を焙煎したなら良くも悪くも納得できる」「抽出だけでは判らないことが判るんじゃあないのか?」

この頃、自家焙煎の扉の前で立ち尽くしていた私の背中を押す出来事が訪れます。皆様は珈琲の御三家をご存じでしょうか?名人と呼ばれる3人。銀座「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎氏、「バッハコーヒー」の田口護氏、そして吉祥寺「もか」標交紀氏。
「もか」は福岡「珈琲美美」森光氏が独立される前に修行していたお店で、数々の逸話がある超有名店。その標交紀氏に直接お話を伺いに行ったときのことです。いろんな珈琲の話をお伺いした後に、悩める私に標氏はこう言いました。「豆を焙煎しなくては珈琲の事は語れない」「他人の褌で相撲をとるな」その時の言葉は私の一生の指針となり、自家焙煎への決意は揺るぎないものとなりました。(勘違いされないために補足いたしますが、私は標氏に珈琲についてのお話を伺いに行きました。標氏は「君がしたいことは何だね。」「珈琲です。」「だったら他人の旗ではなく自分の旗を振りなさい。」と言われたわけで、別に豆を買っている喫茶店を否定するものではありません)そしてここで2発目の鈍器的珈琲にも出会います。「サン・ハラールモカ」。「もか」と刻印された麻袋に積められて輸入される「もか」の為だけの特定農園スペリオールコーヒー。なめらかな口当たり、強い甘み、ふわりと香りだけを残し流れていく喉越し、余韻。
自分で焙煎する事が難しかった時代に自家焙煎の道に踏み切り、珈琲の道を歩んできた標氏の存在と優しさがその珈琲に宿っているような気がしました。

そこから豆との格闘の日々が始まりました。最初は自分の焙煎した珈琲といつもの豆を平行して使っていました。勿論、最初からうまく行くわけもなく、今に思えば随分と独りよがりなひどい珈琲だったように思います。実はここが非常に難しい問題で、自分だけが満足する味を造り上げるのはカンタンなのです。自分だけの方式と公式で突き進めばいいだけだから。これがいかに危険なことか、この時期に学んだように思います。

そんな日々の中、もう一つの転機が訪れます。あこがれのモカへの道、イエメン・エチオピアへの旅行です。私はこの旅がきっかけで焙煎機を譲っていただきました。のちに私が(一方的に)師事することになる岐阜「待夢珈琲店」今井氏との出会いです。私が今使っている焙煎機は今井氏が長年使用していたもので、富士珈琲機器の赤外線付き7ポンド焙煎機です。この焙煎機に付いている赤外線は元は標交紀氏の師匠、襟立氏が考案とされている代物で、標氏も長年使っていた焙煎機と同じ型。当時、私のあこがれの焙煎機でした。現在、このメーカーはありません。中古でしか手には入らない幻の焙煎機です。

そして、イブラヒムモカの取り扱いを開始することが出来始めました。後にサン・ハラールモカと同じプリパレーション、当店ではメニューに「ハラール・ハラワチャ」として扱い開始始めることが出来るようになったのです。まさに夢のようです。ちょうどこの場所に移転する直前頃、メニューにはイエメンモカ3種類、エチオピアモカ3種類とモカ専門店のごとく高品質モカが目白押しでした。
そして、移転。今に至る…というわけです。

えっ、今モカの種類が少ないのは何故かって?次回より当店の看板メニュー「モカ」のお話をしていこうと思います。