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機械

「珈琲事始め」の最後の方に私が焙煎機を手に入れるきっかけを書きました。
今回は当店で使用している機械のお話を書いていきたいと思います。

ちょっと重複しますが抜粋します。「…富士珈琲機器の赤外線付き7ポンド焙煎機です。こ焙煎機に付いている赤外線は元は標交紀氏の師匠、襟立氏が考案とされている代物で、標氏も長年使っていた焙煎機と同じ型。当時、私のあこがれの焙煎機でした。現在、このメーカーはありません。中古でしか手には入らない幻の焙煎機です。」

9月の改装(2011年)で焙煎機を変えてしまったので今現在この焙煎機は使用していません。まずはこの焙煎機についてお話いたします。

現在は生産されていないこの焙煎機誕生の経緯ですが、源流はアメリカにあります。1864年、バーンズが開発したこれまでにない新しいタイプの焙煎機はアメリカで特許を取得しました。この焙煎機は焙煎温度の調整に優れ、シリンダー内部に二重の螺旋棒が設置され、豆がむらなく攪拌される構造になっていました。しかも煎りあがった豆はシリンダーが回転中でも全面の蓋を開くだけで排出されるようになっており、作業面、品質面とも格段に向上しました。この革命的な機械が現在の焙煎設備の礎となったのです。この焙煎機の小型タイプである7ポンド焙煎機(焙煎容量約3kg)を元に富士珈琲機械が制作したタイプが以前私が使っていた焙煎機です。基本構造はいたって単純。電源を入れるとモーターが回転し、排気ファンが回ります。モーターにはファンベルトが付いており、その動力は同時にドラムを回転させます。ドラムの下には棒バーナーがあり、ガス圧を調整することによって火力の調整をします。簡単にいえば「ドラムを下から炙って豆を煎っている」構造です。もちろん燃焼現象が起きますから還元された熱量の副産物として煙りや水蒸気がでます。それを排気ファンで空気の量をコントロールします。焙煎の流れは「豆をドラムの中に投入する」→「豆を煎る」→「煎り上がったタイミングで豆を排出」→「冷却」です。基本、この流れはどんな焙煎でも変わりません。ここに私が使っていた7ポンド焙煎機にはもう一つの熱源(赤外線)が付いていました。ドラムの横に四角い箱が飛び出しており、そこに赤外線発生装置がついていました。…熱源が2つ。下からの熱源と横からの熱源。これがあらゆる混乱と伝説を生んだのです。

特許は襟立氏が所有しているらしいですが、襟立氏は珈琲名人であり、氏を師事していた「もか」標交紀氏もこれまた名人。兎に角、この(赤外線付き)を使っているお店は一癖も二癖もある評判の有名店が多いのです。これにより、単純な赤外線付き焙煎機に対するイメージ図ができあがるのです。
(赤外線付き)焙煎機 = うまいコーヒー
私もこの図式に囚われた一人でした。この焙煎機の存在を知ってからというもの思いは強く「この焙煎機が欲しい、使いたい」という願望になるまで時間は掛かりませんでした。そして運命の出会い。2005年のイエメン・エチオピアの旅行で岐阜「待夢珈琲店」今井氏に出会い、使わなくなったという(赤外線付き7ポンド焙煎機)をゆずってもらう運びとなったのです。…皆さん、念は強ければ叶いますよ。

焙煎機をオーバーホールしてもらい、使い始めたのですが。まぁ、予想通りの一癖二癖ある焙煎機で、赤外線に至ってはどのタイミングで使用すればいいのか?まったくの未知の領域。人によっては「赤外線は前半にのみ使用する」「後半にちょっと使う」「後半だけ消す」など様々。しかしこれが今後の珈琲にかかる熱量を考えるきっかけにもなりました。この焙煎機の特徴は赤外線だけではありません。ドラムとバーナーの近さも特徴的で、正真正銘「直火式」焙煎機です。「直火式」といっても解りにくいと思いますので焙煎方法の種類について簡単に説明します。まず直火式ですが、従来のガスで加熱するドラム型焙煎機を示します。輻射熱と伝導熱で焙煎する方法なので大型化が難しく、生産性に限界があるからです。この焙煎方式は小規模店でしか使われません。しかし、独特の風味が燃焼により添加されるので、ゆわゆる珈琲らしい苦み、香味が特徴になります。

もう一つは「熱風式」。これは対流熱を使用する焙煎方式で熱量さえ増やせば大量に焙煎できるので、大手焙煎業者などが工業用に生産するために主として使われる方式です。特徴は微細な熱量コントロールが可能となり、スッキリと水分を抜くことができるため、本来の香りと味を生かした仕上がりになります。

直火式焙煎は輻射熱を使って焙煎します。輻射熱とは別名「放射熱」ともいい、赤外線によって熱が伝わります。赤外線とは波長が0.75〜1000ミクロンくらいの電磁波のことで、温度の高い熱源はいずれも赤外線を放射しています。赤外線は食品にあたると食品その部分の分子を動かします。物体表面に赤外線が到達するとそこで吸収され、熱に変換されます。分子の動きが隣の分子に伝わることで熱が入っていきます。…焚き火などに手をかざすと直接触れているわけでもないのに熱を感じますよね?焚き火から放射される赤外線が体に当たって吸収され熱に変わるから温度を感じるのです。「輻射熱」とは表面と内部の温度差が大きくなるような熱の伝わり方でもあります。

さて、ここでよく耳にする「遠赤外線」についても説明します。テレビCMなどでも「遠赤効果が食品内部まで浸透し、ジューシーな味わいに…」とか、なにやら遠赤外線を使って調理した食品は熱が中まで入り込むと唱われているものを耳にしたことはありませんか?
はっきりと否定しておきましょう。遠赤外線は食品内部まで熱を通すことはありません。先ほども触れましたが、赤外線は食品の表面で吸収されて熱に変わることで食品の温度を上昇させます。遠赤外線より波長の短い近赤外線ですら温度が高くなるのは食品の表面から数ミリまでの層で、遠赤外線はほぼ表面部分の温度のみが高くなります。

この熱の伝わり方で効果的な食品は魚や肉の焼き物です。まず表面を素早く熱で固めることができるため、内部のうまみ成分が流出することなくジューシーに仕上げることができます。炭火の焼鳥や、七輪で焼いた焼き魚がふっくらと美味しくできるのはこの効果です。

さて、そろそろ(赤外線付き)焙煎機に戻りましょう。すなわち、赤外線そのものでは「ふっくらとした美味しいコーヒーを作る」ことには繋がらないように思えます。では何故こんな装置が考えられ、取り付けられたのか?…ここからは私が聞いた話をまとめます。バーンズの機械を模して作られた焙煎機にはドラムに特徴がありました。それは胴長であるということ。胴長に加え、豆を効率よく攪拌するために取り付けられた螺旋状の棒は煎り上がった焙煎豆を素早く排出するために豆が前へ前へと押し出される仕組みでもありました。この作用はドラム前方に豆が溜まっていくことを示します。ということは、熱源である棒バーナーの前方でしか煎っていない、ということになります。つまり、熱量から一度に焙煎できる量が決まってくるのです。実際、3kg焙煎機とありましたが、最大1.7kgが上限でした。勘の良い方は答えが見えると思いますが、豆を一度に(もう少し)沢山焙煎できないものだろうか?と考えるものです。そこで考え出されたのが「赤外線発生装置」をもう一つの熱源としてカロリーを補うために取り付けたのです。これで焙煎量の上限を上げようとしました。しかしここで思わぬ作用が生み出されたのです。実際、赤外線付きで煎っている人の珈琲は何かが旨かった。何か解らないが味に特徴があった。名人達が煎る珈琲の味と機械的作用が誤解を生んでいったのです。実は赤外線を使っても使わないでも味が変化する秘密がありました。それは赤外線装置に付いた穴。この穴は赤外線の火種に着火するための穴で、これが焙煎後半に過剰にかかる熱量を逃がしていたのです。熱を与えるために取り付けた装置の穴から余分な熱が逃げていた。なんとも、面白いものです。実際、赤外線装置の上部に耐熱ガラスの窓があり、窓はスライドで外れるようになっていました。この窓を少しスライドするだけで味が変化した事はこの焙煎機で驚いたことの一つです。

この7ポンド焙煎機の扱いは非常に難しい。僅かのことが味に影響してきます。ある程度上手くいるための方法論は出来てくるのですが、同じようにしても奇跡的に上手く焙煎できた日と上手くいかない日があり、また季節によっても左右されます。この繊細な違いをどう扱うか?まさに職人魂に火がつく面白さがあります。…まぁ、早い話。安定しない焙煎機なのです。
そして味に大きな左右をもたらす赤外線装置。結局、赤外線をはずして(もしくは使用せずに)普通の7ポンド焙煎機として使うようにした人が多くいました。
しかし、いい焙煎機です。もし今後、焙煎をしようという方がいたとして、この焙煎機が手にはいるなら私はオススメします。たっぷり苦労と苦悩しますが、焙煎修行には武者修行クラスの技術習得と焙煎の基礎が学べます。
オススメの焙煎機ではあるのですが、どうしてもその世界の味を越えようと考えてしまうとこの焙煎機には限界を感じるようになってしまいます。機械構造上特有の味のクセを良しとするか否か?これは提供する側の思考(嗜好)に大きく関わっていきます。

焙煎機メーカーで最近作られている焙煎機のドラムは胴長ではありません。縦に大きく、つまりドラムの直径が大きく作られています。熱量と焙煎量を吊り合わせて考えると胴長に作ることは意味のあることではありません。安定した熱源であるか?安定した熱量であるか?作り上げようとする味の方向性、着地点の求め方で焙煎機は選択していかなくてはなりません。
…そんな訳でどうしても突き抜けたい点を突破するには焙煎機を変えるしかなかったのです。

現在、店の味を支えてるのは長野県にある井上製作所が作っている焙煎機です。この焙煎機、最大の特徴は熱量測定が出来るという点にあります。つまり、バーナーの熱量が何キロカロリーであるかをリアルタイムで測定できるのです。今まで曖昧であった領域を数値可してしまったのです。これは焙煎機の中で行われている変化が可視可出来ることを示します。カロリーの変化や焙煎機の温度変化はパソコンにアウトプットされ、記録を保存できるのです。つまり、保存されたデータで味の再現が可能なのです。
…味の再現性。同じように焙煎していても実は同じ味にはなりません。似たような味にはなりますが、季節や気温、煙突の長さ、外を流れる空気(風)の流量、気圧。焙煎する豆が新豆か枯豆か。様々な変化は味に影響を及ぼします。その事実はデータを測定していれば解ります。たとえデータで可視可していても若干のズレが見えてきます。そのズレが味に影響を及ぼすのです。そう、見えれば修正が利くのです。これが味の再現性に繋がります。
しかもこの焙煎機は理屈の上ではどんな焙煎でも再現可能です。どれくらいの時間で豆を仕上げるか?どのように熱を加えていくか?ドラムの回転数と排気の回転数を調節する事で豆に加わる熱量を調整できるので、意図的に珈琲豆表面に熱を上滑りさせたり、豆に加える熱量そのものを増やしたり、と豆の大きさ(スクリーン)や水分量の多さ、堅さなどをモノによって調整が可能・・・というわけです。後は作り手が「どんな珈琲をお客様に提供したいか?」で味作りは決まっていきます。
機械の性能のせいにできない。偶然の産物は必然のデータに変わる。そうです、味は焙煎者の腕そのものなのです。

しかし、はたして焙煎した豆がどのようなモノかというのは実のところ通常のミルでは判断できないのです。世の中のほとんどのミルが構造上、豆を挽く(カット)ときに焙煎豆に熱を加えてしまいます。豆に熱を加えると言うことはミルの中でもう一度焙煎を行っていると言っても過言ではありません。挽き立ての珈琲が瞬間的に香るのは熱が加わっている証拠です。豆を多量に挽いた場合(100g以上連続で)その粉に指を入れると熱を感じます。この珈琲豆をミルで挽くという行為での結果は抽出した珈琲に影響を及ぼします。

つまり、(釜から上がった珈琲の味 = 抽出した珈琲の味)
…実は厳密に言えば同じでは無いのです。

では、同じにするためにはどんなことをすればいいのか?というと、(豆を挽くときに豆のハニカム構造を押しつぶさず熱を発生させない=焙煎機から上がった豆そのものの味が味わえる)のです。
はたしてそんなことができるミルが存在するのか?・・・存在するのです。
重複する内容になりますが、井上製作所のリードミルは豆にほとんど熱を加えません。例えば100gの豆を挽いても挽いてるときの香りがほとんどありませんし、(加筆:香り立つ焙煎をすれば挽いてるときに香ります。ヨシッと思う瞬間)挽き終わった珈琲に指を入れても熱を感じることはありません。通常、一般的なミルはその回転による摩擦熱が発生いたします。挽き終わった珈琲はミルの中でもう一度焙煎という形で(残念ながら)豊かな香りを感じさせてくれます。同時に熱が発生するために挽き終わった豆に指を入れてみると熱を感じます。熱が加わり再焙煎が行われるということはこの時点で味が変化を起こすということです。そうして挽かれた珈琲を抽出する。ということは、飲んでみた結果の珈琲はミルの能力を加算した上での味であるといえます。
このように挽かれた珈琲豆は裁断面がつぶれ、微粉が発生してしまう為にお湯を注ぐとよく膨らみます。ゆわゆる「蒸らし」の行程によって潰された裁断面はお湯を含み戻っていき、微粉が水分を吸着させていきます。珈琲の本には「新鮮なな挽き立ての珈琲はハンバーグのようにプックリと膨らみます・・・」と美味しい新鮮な珈琲の条件のように書かれていることがありますが厳密にはミルの方式によってはこの条件に当てはまりません。では、裁断面が破壊されなければ?微粉率が0に近ければどうなるでしょうか?・・・そうです、潰れた裁断面がお湯を含むこともないし、微粉が水分を吸着させることもないのです。そのようにしてカットされた珈琲はプックリとは膨らみません。膨らまない珈琲の条件は3つ。裁断面を破壊しないミルで挽く。古い豆。焙煎による過剰熱量で起こる炭化。(補足しますが膨らむ、膨らまないのこれらの条件に当てはまることが旨い珈琲か不味い珈琲かというのは別ですので勘違いなさらないようにお願いします)
そして裁断面が破壊されないことがもたらす結果は、微粉が無いため後味がすっきりとしたモノになります。そして抽出時に豆にあたったお湯は珈琲に付着する成分を上から下に透過させていく、というシンプルな役割になります。これは焙煎された珈琲の味がストレートにカップに落ちて行ってるということです。

私は長い間、リードミルの構造を勘違いしていました。珈琲屋の中でも専門店が、しかもその中でもかなりマニアックで味にも評判の店が所有していることが多かったため「このリードミルで挽けばおいしい珈琲が出来る」と思っていました。いつかは購入したい憧れのミル。気持ち、思いは年月ごとに強まっていきました。この感覚のまま井上製作所で「リードミルくださ〜い」と買いに行ったら売ってもらえなかったでしょう。今考えると当時の自分にゾッとします。ミルの関しての情報を集めているといろいろな意見も頂きました。「必要ない」「高価(この場合、性能ではなくただ値段だけの話)」ネットでもあまり情報が収集できないのもこのミルの特徴でした。そんな中、中古として販売しちゃてる珈琲屋にもあたりました。これは後に聞いた話ですが、ミルが使いこなせなくて手放した…というものでした。(ミルが使いこなせない!?)また一つ疑問が浮上してきました。これも後に判明した事ですが、使いこなせない理由は自分の所で焙煎した珈琲をいままで使ってきたミルと同じように使うと味が変わる。ミルを使ったせいで味が変化した。大体こんなところです。

味が変わるのは前回お話ししましたが、リードミルで挽くと、挽いたときの摩擦熱が発生しないと言う点にあります。ミルの中でもう一度焙煎した味がそのお店の珈琲の味ならば、この作業工程が抜けてしまう為に同時に味も(抜けて)しまうのです。しかしながら厳密には味は抜けていません。その味こそが焙煎したままの真実の味なのです。
残念ながら(当たり前ですが)リードミルに珈琲の味を良くする機能は付いていません。このミルの特徴は焙煎した味そのものが解るミルなのです。その特徴の1つ、どんな珈琲を挽いても共通の味になります。それは、すっきりとした後味。微粉率が0であるために余分な雑味を出さないからです。あらゆる珈琲の後味の雑味は微粉によるものだからです。では残り雑味以外の珈琲の味はというとそこにあるのは赤裸々なまでの焙煎された珈琲豆の姿なのです。生焼けの味、焦げてしまった味、抜けてしまった味、煙がこもった味、珈琲豆に含まれる味がカップに表現されるのです。

ということは、これらの判明した良い部分、悪い部分を伸ばしてやったり、消してみたりの方向性が確立してくる…という訳です。「後半の熱量が高いな」「排気が抜けてないぞ」「仕上がりの時間をもう少し短くできないかな」など。その微細なコントロールの方向性をリードミルが示してくれるのです。つまり、今回のコラム(機械)の最初でふれた焙煎機の微細な調整が可能な機能が生きてくるのです。そう、焙煎機とミルは2つで一つなのです。針の穴に糸を通すような焙煎が可能になってくるのです。


モカ

現在は6種類あったモカが3種類に…(2011/11月時点)なぜ6種類あったモカが3種類になったか?

【補足:2014/5月の段階ではイエメン2種類、エチオピア2種類、合計4種類で提供中】

1)ここ数年のバニーマタルは品質が低下。ムニールモカの方が断然良いので取り扱いを一時停止。

2)「ハラール・ハラワチャ」「ジェルジェルツーアビシニカ」この2つのエチオピアモカは2009年に始まったECX(Ethiopia Commondity Exchange)によって単一農園、単一種での取引が出来なくなりました。ほぼ同時期、エチオピアの珈琲豆から残留農薬が見つかり日本への輸出がストップするという事態が起こりました。記憶に新しいと思いますが、モカが日本から消えてしまった年でもあります。

…イエメン、エチオピア両国のモカは世界の珈琲の中でも特徴的な風味、味わいを持ち合わせています。私個人の問題だけでなく、どうしようもない、個人ではどうにもならない「国家」の問題を感じずにはいられませんでした。

6種類が3種類になった理由は「泣く泣くメニューから消えた」が正解です。

さて、私が魅了された珈琲、モカ。
優しく複雑な味わい、コク。どこか女性的なこの珈琲の産地はアラビア半島の南、イエメンとその対岸であるアフリカ大陸、エチオピアで産出されるもっとも原種に近く、そして人が初めて珈琲を農作物として栽培始めた珈琲です。最近の研究で、世界の珈琲のDNAはエチオピアの東、ハラール地方の珈琲にたどり着くそうです。では、珈琲の母はエチオピアなのか?というとここがちょっと複雑。

イエメンにはかつて国際貿易商品として珈琲を外国へ出荷していました。紅海に面した港町「モカ港」。ここから出荷された珈琲はすべて「モカ」の名称で呼ばれていました。やがてモカコーヒーは人々の心をつかみ、生産量と消費量が吊り合わなくなってきたとき、対岸のエチオピアで生産を開始し始めました。アラビヤの商人がハラールの現地人「オロモ族」に珈琲生産を教えたのが最初と言われています。エチオピアで栽培された珈琲が対岸のイエメンに渡りモカの港から出荷される。その名残が二つの国の珈琲を「モカ」と呼ぶようになった謂われです。名前が同じ
「モカ」でも味わいは違います。エチオピアのモカはカラリとしたさわやかな味わいと酸味が特徴。一方、イエメンモカはしっとりとした上質の麝香を思わせる香り、そしてなによりもコクを感じさせる複雑な味わいが特徴ではないでしょうか。共通するのは味わいの甘み。独特のあの甘みと香りはモカコーヒー唯一の特徴といえます。

このエチオピアとイエメンのモカにはそれぞれの国で珈琲発見伝承があります。エチオピアでの発見伝説はレバノン人の言語学者ファウスト・ナイロニーの「眠りを知らない修道院」が有名で、(山羊使いカルディー)がある日、自分の飼っている山羊が赤い木の実を食べると夜になっても眠らず騒ぐので、寺院の修道士たちに知らました。修道士達は何か特効のある草木を食べたに違いないと周辺を探すと食いあらされた木の実が見つかります。修道士達はこの実をためし、それが眠気を払うものと気がつきます。それから夜通しの祈祷の間、眠ることなく勤めることが出来ました。この赤い木の実がエチオピアコーヒーの発見。というお話とイエメンの伝承にある、アブダル・カディの「コーヒー由来書」に記された珈琲発見伝説があります。その話とは…ウーサブの山奥に流刑になった僧侶シェイク・オマールが師であるアル・シャージリの霊に導かれて発見した赤い木の実を煮出すと香りの良い飲み物になることを知り、薬効に気がつきます。その実をモカに持ち帰り、煮だして信者の病気を治したことからモカの長官は彼を許し、聖人として敬った。という2つの伝承があります。

ではここで伝承について検証してみたいと思います。エチオピアでは確かに山羊や猿が珈琲の実を食べることはあるようです。しかし、ファウスト・ナイロニーは著書「眠りを知らない修道院」でカルディをエチオピアのアラブ人と書いています。アラブの商人が珈琲を神秘的な飲み物にするための細工?のようにも捉えることが出来ます。

イエメンの伝承はウーサブの位置がキーポイントとなります。ウーサブはモカ港より北方約100kmに位置します。その半分の距離にホダインというコーヒー生産地があります。(現在でも珈琲栽培が行われています)ウーサブはその昔、珈琲を栽培していたのですが、現在は生産をバナナなどの食物に切り替えており、ウーサブよりもう少し奥にいったところでは若干珈琲栽培が行われているようです。(2005年段階)実際はホダインより出荷した珈琲に付加価値をつけるために商人が広めた話ではないか?という説もあります。事実、イエメンではこの民間伝承を残していない。しかしモカ港の聖人アル・シャージリは実在の人物で13世紀、スーフィの指導者でした。真っ白い立派なモスクに今でも奉られています。…そうです、この伝承で重要なポイントは神秘性。商人達がモカコーヒーを販売するための作り話?とも解釈できます。しかし全てが作り話かというとそうでもありません。アブダル・カディの「コーヒー由来書」にはもう一つの面白い記述があります。1454年、アデンのイスラム宗教学者ザブハニーがコーヒー飲用を一般に公開したという話で、この人物がアビシニア(現在のエチオピア)を旅したとき、珈琲の効能を知りました。イエメンに帰ると病気になった彼は珈琲を思いだし、試したところ、健康を回復したどころか、睡魔を追い払うことまでもわかってしまった。そこで夜の祈祷に集中できるよう飲用をすすめた。という話です。当時の珈琲がどのようなものであったか?というのは殻(ギシル)と果肉が発酵したお酒のようなもの。か、珈琲の果実をつぶして煎じて飲んだ。と考えられています。ちなみにギシルとは、今でもアラブ世界では飲まれている珈琲です。イエメンでは珈琲は焙煎した珈琲豆(種)の粉を煮だして作る「ブン」という飲み物で、一般的にはターキッシュコーヒーと呼ばれているものと、コーヒーの皮殻(皮殻に付着した果肉も含む)を煮だした「ギシル」があります。イエメンではこのギシルが一般的に飲まれており、歴史的にはギシルの飲用文化はブンよりも古くからあったようです。上質なギシルを作るには完熟した赤いコーヒーの実だけを一粒一粒丁寧に摘み、天日乾燥で1〜2週間じっくりと乾かし、その後石臼歯の脱穀機で豆(ブン)と皮殻(ギシル)に脱穀して出来上がりです。石臼歯の脱穀機はコーヒー豆が欠けやすいし、石臼歯の破片(イエメンコーヒーには時々白い石の破片が混じる)が混入しやすい、しかも時間がかかり非効率です。では何故石臼なのか?…そうです。イエメンでは上質のギシルを取るために石臼を使うのです。機械で脱穀すると高速回転の金属の歯はギシルを粉々にしてしまいます。イエメンにとってギシルこそが普段飲みのコーヒーでブンはあまり飲みません。豆(ブン)を輸出に使って残りの皮殻(ギシル)を飲んでるわけではないのです。なぜならギシルは保存に向きません。鮮度が要求される飲み物なのです。一方ブンは豆を煎らなければ保存は数年可能です。ここで飲み分けが出来ました。ギシルコーヒーは首都もしくはギシルが傷まない距離までで飲まれ、ブンはベドウィン(砂漠の民)が飲んでいた。ということです。現在、世界でギシルコーヒーを飲んでいるのはイエメンとエチオピアの一部(主にイスラム教地区)の人たちです。
ギシルコーヒーの作り方ですが、水を入れたイエメン式ポットに焙煎したギシル、ジンジャー、カルダモン、クローブ、シナモンなどの香料を加えます。砂糖をたっぷり入れて火にかけ煮だし、数分経ったら茶こしで濾して出来上がりです。味は葛根湯と例える方もいらっしゃいますが、独特の香味とスパイシイな味わいはジンジャーの効用もあるのか、体がポカポカと暖まるような感じです。山岳地帯で暮らすイエメン人は年間を通して朝晩の冷え込みがあります。朝のお祈り前やお祈り後に「ホッ」とギシルを飲めばさぞかし美味しいだろう。と現地の早朝に飲んだギシルからイエメンの飲用文化(ブンよりギシルが飲まれている訳)が見えてきます。
このギシル珈琲が飲まれているのは世界では2つの国しかありません。イエメンとエチオピアの一部の地域(東部ハラールのムスリムが住む)です。後、エチオピアではコーヒーノキの葉を乾燥させ、煎じたお茶「クティ(またはコティー)」や、豆を煎り、細かい粉にしたものと蜂蜜、バターを練り込んだ食べ方なども風習として残っています。

さて、実際の所。日本人を魅了して止まないモカコーヒーとは?そしてその味の正体とは何なのでしょうか?最初の方で「イエメンとエチオピア、同じ「モカ」でも味わいは違います。エチオピアのモカはカラリとしたさわやかな味わいと酸味が特徴。一方、イエメンモカはしっとりとした上質の麝香を思わせる香り、そしてなによりもコクを感じさせる複雑な味わいが特徴ではないでしょうか。共通するのは味わいの甘み。独特のあの甘みと香りはモカコーヒー唯一の特徴といえます。」と書きましたが、イエメンモカとエチオピアモカの決定的な味の境目(特徴)は「複雑さ」にあると思います。モカコーヒーを植物学的分類から見てみると(コフィア属)(エウコフィア属5節)(エリトロコフィア節)(アラビカ種)(モカ)となります。コーヒーで一般によく知られているのは(アラビカ種)(カネフォラ種)(リベリカ種)の3つ。このうち(リベリカ種)は流通が皆無ですので除外すると(アラビカ種)と(カネフォラ種)ですが、(カネフォラ種)は一般的に工業用コーヒー … 缶コーヒー(最近ではアラビカ種を使う傾向にある)や香料(コーヒー香料は人工的に作れないので香料にする場合実際にコーヒーを使います。)などに使用されます。特徴は一年で数回実を付けるので年間収穫量が多い。特有の強い香りを持ち、病害虫、暑さに強く土地を選びません。一方(アラビカ種)は病害虫に弱く、土壌を選びます。暑さ、寒さに弱いので栽培に向く地域が限定されてしまいます。しかし味わいがよいので、珈琲としての主流はこちらです。

さて、我らが「モカ」は植物学的分類上どこにいるのかというと(アラビカ種)から「ティピカ」と「モカ」に分かれます「ティピカ」は珈琲の原種であり、その始まりはイエメンから1699年にオランダの東インド会社からインドネシアのジャワ島に運ばれて、そこで栽培に成功しています。このコーヒーの種子から育てた数本の木が1706年、アムステルダムの植物園に送られて栽培。その苗が1713年、フランスのルイ14世に送られています。1720年頃、フランス人将校クリューはパリの植物園の苗木をマルティニーク島に持ち出し、航海の苦難に耐えた数株の栽培に成功。これが中南米のコーヒーのルーツです。このルートで広まったのがティピカ種。そしてもう一つのルートがイエメンからフランス人によってブルボン島(現在のレユニオン島…数年前よりUCCが売り出しているブルボンポワントゥはこれにあたります)に導入されたティピカから突然変異を起こしたものがその後、ケニア・タンザニアに移植されて後に中南米に導入されます。このルートが「ブルボン・ロンド(ブルボン)」です。その他にティピカからの突然変異種では「マラゴジッペ」。突然変異同士を交配させた「パカマラ」「カトゥアイ」。自然交配して出来上がった「ティモール」や突然変異との自然交配「モンドノーボ」などが有名です。どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。そして「モカ」は「ティピカ」と並ぶ原種です。まずはこれがほかの珈琲との味の違いの一つです。

イエメンとエチオピアの珈琲は「モカ種」と呼ばれています。現地でコーヒーノキを見るかぎり、ティピカの特徴をふまえた木です。DNA鑑定したわけではないので完璧に「そうだ!」と言い切れませんが、珈琲輸出の歴史や産地の場所などを考えると「モカ種」と言っても問題はないと思います。しかし、同じ「モカ種」でも味が違うのは(他の国にも同様のことが言えますが)生産地の気候や土の状態が大きく関与します。ワインで言うところの「テロワール」が珈琲にも大きく関与します。つまり、同じ産地の隣の畑ではすでに味が違うものと考えなければなりません。そして、収穫から輸出までの行程も味に大きく関与してきます。エチオピアコーヒーがクリーンな味わいなのはその殆どが「水洗式」と呼ばれる作業工程によるものといえます。エチオピアコーヒーの水洗式の代表的な産地は南に位置するシダモエリアが有名です。このエリアでの水洗式コーヒーの処理方法ですが、まず収穫した赤い実を大量の水と一緒に発酵漕に流します。この時に完熟した赤い実は水槽に沈み、未完熟の実は軽いため水に浮き外に流されていきます。発酵漕は何段階かに分かれおり、身の重さによって比重で選別されるように工夫されています。それらの実を約24時間、水の中で発酵を待ちます(国によって発酵時間は変化します)。発酵した果肉はシュミレージと呼ばれる種子とパーチメント(外皮)と果肉の間にあるヌメリをも除去しやすくします。発酵後、果肉とパーチメント(外皮)を含む種子部分とを脱穀、外皮付きの状態でアフリカンベッドと呼ばれる風通しの良い棚田に並べられ、乾燥を待ちます。現在、エチオピアではこの状態(パーチメント付き珈琲豆)で農家から出荷、アディスアベバの研究所で検査を受けた後、オークションにかけられて輸出という流れになっています。水洗式のコーヒーは精製までの処理が早く、珈琲豆の水分含有量も多いため、みずみずしく香りあるコーヒーになります。一方、ハラール(エチオピアの東)の一部の地域で行われる昔ながらの農方は樹上完熟と呼ばれ、樹の上でコーヒーの実を黒く乾燥するまで置いておくという農方で、この方法は雨季と乾季がはっきりしている地域でなければ出来ません。もし、乾燥の途中、雨が降ってしまうと実は発酵を始めてしまいます。その発酵臭はコーヒーにとって好ましいものとは言えません。これは水洗式のコーヒーにも言えますが、発酵に不備があるとこの臭いが付着します。そして、樹上完熟のもう一つの重要な要素が生産量が増やせないということです。樹上完熟は土の養分を大量に必要とします。つまり、農地が豊かでなければなりません。自然のままの収穫量でなければたちまち樹は実を付けなくなってしまいます。この樹上完熟で収穫されたコーヒーは甘い味わいと独特な香りがあります。

イエメンでは水洗式のコーヒーはありません。天日乾燥で行う精製法方のみです。コーヒーの実は赤くなったもののみを収穫。家のテラスや屋上のコンクリート部分に並べ、一週間から10日乾燥させます。黒く乾燥した珈琲の実は石臼の脱穀機でギシル(乾燥した果肉部分)とブン(コーヒー豆)に分けられます。前述した通り、イエメン人にとってのコーヒーはギシルですので、脱穀の際にはギシルが砕けないように丁寧に脱穀されます。イエメンのコーヒーは完全有機農方です。ワディと呼ばれる枯れ川は雨期になると山肌のミネラルを含んだ水の流れる川となります。雨期が終わり、川底にはミネラルの多く含んだ土が残ります。コレが肥料。そして彼らは農薬を使いません。なぜなら農薬のかかったギシルなんて飲みたくないからです。食文化や国土、環境がコーヒーを作るのです。

イエメンモカ、エチオピアモカ(ハラールの一部地域に限る)にある独特の味の正体ですが、石臼で脱穀するときに、乾燥した果肉はブンに付着します。ハラールでの脱穀方法でも杵と臼で完熟豆を脱穀します。どことなく共通の味わいを感じるのは、乾燥した果肉の味わいだと考えられます。これがモカコーヒー独特の味と香味の正体。
この味覚や香りが発酵臭であるという意見もあります。たしかにそう感じるものもあります。しかし、否定的意見だけではもったいない、日本人の味覚に適した味わいであるというのも事実です。


珈琲事始め。

この場所に移転してきてもうすぐ4年。(この原稿は2008年7月の「当店ご案内」に掲載した文章を載せています)移転前を知らない方もいらっしゃると思いますので今回のモナモナムールは当店の黎明期に触れます。

オープン当時は珈琲をメインとしていましたが、スタイルは「カフェ」。12時から24時まで開いている。珈琲あり、ジュースあり、ご飯あり、アルコールありのお店でした。
オープン当初は「自家焙煎まではちょっと…」と思っており、珈琲の事も手探りで勉強していました。珈琲関連の書籍は今ほど充実してなく、どんな本を読めばいいのか、どこから勉強すればいいのか、どうすれば珈琲の事が判るのか?多くの謎と店の営業が平行していました。勉強しながら得た知識でお客さんと対話する。対話の疑問から検証していく…そんな毎日でした。当時は抽出方法もペーパードリップで3杯くらいを同時抽出していた時期もあります。多少腕に自信がついていい気になっていた若かりしあの頃です。いやあ、勢いって凄いです。

そうこうしているウチにやがて、自分が使っている(購入している)豆に疑問を持ち始めました。得てきた知識と実際に接している豆とにギャップを感じ始めていました。この頃から本格的に自家焙煎を意識し始めたように思います。疑問を抱えながらの営業中にある時、ある方から「福岡に珈琲美美というお店がある。一度行ってみると良い」とアドバイスを受け、タイミング良く日にちが取れたので福岡に行って珈琲を頂きました。

…私はかつて珈琲で2度、鈍器で殴られたような衝撃を覚えています。その一杯目は珈琲美美で頂いた「イブラヒムモカ」。なんともいえない奥ゆかしい味わい。主張してくるのに優しく消えていく後味。甘み。珈琲にこんな深い味覚と味わいがあるなんて…驚愕の一杯でした。
その頃から珈琲にふれあえる本当の喜びを感じるようになったと思います。と同時に使っていた豆への疑問は不満へと変化し始めました。「もっとこうなるんじゃないか?」「もっとこんな味わいにして欲しい」結局、私の言葉と珈琲のイメージは焙煎者には伝えきれなかったように思えます。「自分で豆を焙煎したなら良くも悪くも納得できる」「抽出だけでは判らないことが判るんじゃあないのか?」

この頃、自家焙煎の扉の前で立ち尽くしていた私の背中を押す出来事が訪れます。皆様は珈琲の御三家をご存じでしょうか?名人と呼ばれる3人。銀座「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎氏、「バッハコーヒー」の田口護氏、そして吉祥寺「もか」標交紀氏。
「もか」は福岡「珈琲美美」森光氏が独立される前に修行していたお店で、数々の逸話がある超有名店。その標交紀氏に直接お話を伺いに行ったときのことです。いろんな珈琲の話をお伺いした後に、悩める私に標氏はこう言いました。「豆を焙煎しなくては珈琲の事は語れない」「他人の褌で相撲をとるな」その時の言葉は私の一生の指針となり、自家焙煎への決意は揺るぎないものとなりました。(勘違いされないために補足いたしますが、私は標氏に珈琲についてのお話を伺いに行きました。標氏は「君がしたいことは何だね。」「珈琲です。」「だったら他人の旗ではなく自分の旗を振りなさい。」と言われたわけで、別に豆を買っている喫茶店を否定するものではありません)そしてここで2発目の鈍器的珈琲にも出会います。「サン・ハラールモカ」。「もか」と刻印された麻袋に積められて輸入される「もか」の為だけの特定農園スペリオールコーヒー。なめらかな口当たり、強い甘み、ふわりと香りだけを残し流れていく喉越し、余韻。
自分で焙煎する事が難しかった時代に自家焙煎の道に踏み切り、珈琲の道を歩んできた標氏の存在と優しさがその珈琲に宿っているような気がしました。

そこから豆との格闘の日々が始まりました。最初は自分の焙煎した珈琲といつもの豆を平行して使っていました。勿論、最初からうまく行くわけもなく、今に思えば随分と独りよがりなひどい珈琲だったように思います。実はここが非常に難しい問題で、自分だけが満足する味を造り上げるのはカンタンなのです。自分だけの方式と公式で突き進めばいいだけだから。これがいかに危険なことか、この時期に学んだように思います。

そんな日々の中、もう一つの転機が訪れます。あこがれのモカへの道、イエメン・エチオピアへの旅行です。私はこの旅がきっかけで焙煎機を譲っていただきました。のちに私が(一方的に)師事することになる岐阜「待夢珈琲店」今井氏との出会いです。私が今使っている焙煎機は今井氏が長年使用していたもので、富士珈琲機器の赤外線付き7ポンド焙煎機です。この焙煎機に付いている赤外線は元は標交紀氏の師匠、襟立氏が考案とされている代物で、標氏も長年使っていた焙煎機と同じ型。当時、私のあこがれの焙煎機でした。現在、このメーカーはありません。中古でしか手には入らない幻の焙煎機です。

そして、イブラヒムモカの取り扱いを開始することが出来始めました。後にサン・ハラールモカと同じプリパレーション、当店ではメニューに「ハラール・ハラワチャ」として扱い開始始めることが出来るようになったのです。まさに夢のようです。ちょうどこの場所に移転する直前頃、メニューにはイエメンモカ3種類、エチオピアモカ3種類とモカ専門店のごとく高品質モカが目白押しでした。
そして、移転。今に至る…というわけです。

えっ、今モカの種類が少ないのは何故かって?次回より当店の看板メニュー「モカ」のお話をしていこうと思います。


カップの底に見えるもの。

「う〜ん」といつも悩むことがある。お客様に珈琲を提供する。お客様にミルクとお砂糖が必要かお伺いする。お客様は「いえ、そのままで…」と答える。お客様は各々の時間を過ごすとお会計を終わらせ店を出る。カップを下げにいく。するとたまに、偶になのだがカップの底にほんの少しの珈琲が残っている。カップの底から約2mm、量にして約8〜13ccといったところか。なにが不満なのだ…私の心はかき乱される。なにか不備があったか?サービスに問題があったか?味が悪かったのか?それとも何かの流行なのか?新しいマナーなのか?と何故ナニ?の嵐に襲われるのである。吉祥寺(もか)の標交紀氏の逸話のようにお客様の後を追いかけて問いただしたく思う時もあった。(この話には裏話があるので今回の最後にオマケで書きます)

で、そんな話をFacebookで(FBでjardinqahwah検索)ボソリと呟いたら意外な答えが返ってきたのです。

ケース1)おなかいっぱい…しばし文化の違いもしくは風習で満腹であるしるしとして少し残す場合があるようです。大陸文化では客人をもてなす時、人数の1.5倍から2倍の量を出す場合があります。客人を招き入れる心ともてなしからきた風習です。「おなかいっぱいいただきました、ありがとう」の意味で残す事あるようです。逆に言えば客側が出されたものすべてを食べてしまうということは接待側の恥ということになります。私が見た事例ではイエメンだと来客は田舎に行けばいくほど一大イベントです。滅多に食べられないご馳走やこの日のために山羊を絞めたりしてお客さんをおもてなしします。とても食べられないくらいの大量なご飯です。残ります、絶対。いや、実は残ってほしいのです。お客さんが残したご馳走は絶対捨てたりしません。大事な栄養源でありご馳走なのです。つまり、お客さんが来る→ご飯が余る→ご馳走食べれる。うれしくもあり楽しいイベントなのです。

ケース2)顔を上げるのが苦手なのでは…カップの底の珈琲を飲み干そうとするとき、首を傾けなくてはいけません。(体が固い故に)一定以上首を傾けるのが苦しい、もしくは苦手であるという意見を聞きました。だから残す。いや、むしろ残ってしまうそうです。これに関して、最初は「ああ、そんなこともあるかもね」と思ったのですが、カップを可能な限り傾ければ首は最小の傾きで済みますよね?すみませんか?…疑問です。

ケース3)はしたない…缶コーヒーの場合だと真上を向いてすする事になる。チョットはしたないから。という理由もあるそうですが、ここではレギュラーコーヒー。しかも喫茶での話なのでどうかな?と。それとはちょっとずれますが、「最期に残るちょっとの量が汚く感じる…」缶コーヒーの場合でこんな意見もみました。

ケース4)残しているのではなくて飲みかけ…ただチョットだけ周りのペースよりも遅い、またはゆっくり楽しんでいる最中なので、残しているわけではなくホントに飲みかけなんだ!むしろ下げられると心外。…確かに私も営業中は朝一番に点てたお供え珈琲の残りをチビリチビリと飲んでいます。しかも飲み終えるのは夕方。私の場合、これは完全に冷めきった珈琲の味の変化が納得いくかどうか?を実験しながら飲んでいるためにこのようなことになるのですが、いまや習慣になってしまっています。私は意識して飲みかけの状態をつくっていますが、お客様が少し残して帰るこの場合、勿論会計をすますためにレジに向かいます。と、言うことは飲み終わった証拠です。なので飲みかけはこの場合当てはまらないでしょう。

ケース5)ありがとう、美味しかったよまた来るね…というサインで残す方もいらっしゃるようです。サインを送る側と受け取る側の意志疎通の違いを感じる問題です。「人間」という文字は「人」の「間」の存在だと意識させられました。

ケース6)トラウマ…珈琲を機械で抽出した場合、カップの底に細かい粉が溜まる場合があります。また、年輩者の場合、昔の珈琲は飲みほすとカップの底に珈琲豆の粉が沈んでいるということがあったそうです。確かに飲みほす気分にはならないですよね。古い記事ですが、あるお店などはカップに挽いた粉を入れるのは恥として指導していたというのを読んだことがあります。なるほど、理由が判明しますね。しかし、ウチの店では年輩の方にこのケースが当てはまらないことが多いです。

ケース7)心の問題…今回、この連載を書くに至ってインターネットを使い検索をかけてみました。飲み物ではなく食べ物の話になりますが、「最後の一口が気持ち悪くてどうしても食べられない」というのがありました。理由は複数あり、(どんなにおなかが空いていようと、少量でも最期の一口の段階で満腹になってしまう。)(最期の一口が残飯のように思えてしまう。)など。場合や意見によっては残さずに食べる方が「いじきたない」「お里が知れる…」となってしまうようです。こればかりは意見が分かれそうですね。私なんかは少々口に合わなくても外ではキッチリ食べちゃう方ですし、ましてや洋食で最高のソースに出会ったときは嬉しくて、バケット頂き、ソースをかきとるように食べちゃいますけどねぇ。話が少し脱線して食べ物に行きましたが、飲み物でも同様に感じている人がいらっしゃるようです。

考えられるケースを思い当たるだけ調べて、まとめ、書いてみました。結局の所、提供側が思う事と受けての考えは必ずしも一致しないということですね。どんな職業でもその道のプロであるならば視点は徐々に専門的、思想的確度に傾いてしまいます。モノを提供側の角度だけから見ると時々信じられない様なコトに遭遇します。(提供側の当たり前・受けての当たり前)であると考えれば、「たかが珈琲、お客さんの体調や好みもあるさ…」と目くじらをたてる事もなし。と思うわけです。


ジアマンチーナヨシマツ

当店で取り扱っているコーヒー豆の一つブラジルは「ジアマンチーナヨシマツ」という名前で国内流通しています。ブラジルのコーヒー豆の中でもボディと香りが高く、非常に優れたコーヒー豆です。その「ジアマンチーナヨシマツ」がどのような環境で生まれたか。また、生産者の吉松さんの生い立ちをご紹介いたします。(日本輸入元アジューダ、繁田武之様制作のテキストより)

吉松早苗 山口県熊毛町(現周南市)に(1946年5月22日に7人兄弟の末っ子として生まれる)

1965年12月ブラジルに渡るまで日立電車で溶接工として働いていました。当時日本の海外移住計画のなかにブラジルも含まれており、そのなかにコチア農業組合が提案する「コチア青年」というプロジェクトに参加しブラジルへ夢を抱いてわたります。

かれはまずカストロという入植地でジャガイモ栽培をし雇用農して生計を立てていました。

さらなる飛躍をするため1971年パラナ州マリンガに行きます。ここでは農場経営者、はじめて自分の農場をもちます。この時結婚、子供を授かりより大きな農場を持ちたいと1974年ミナス州ジアンマンチーナに2人子供とともに新たな挑戦をします、ジアンマンチーナは昔から金やダイヤモンドの産地であまり農業には適さない土地です。しかし町から少し離れたところで野菜作りから始めました。野菜栽培は順調にすすみ直接町に販売するという方法で繁盛しました。さらにはじめからの夢「珈琲栽培」をしたいと考えました。
しかしこの地域は珈琲栽培に適していないと国が決めており、珈琲栽培に欠かせない国の融資がうけられません。それでもどうしても珈琲が作りたいという一念ですべて自費で1978年6000本の珈琲を植えます。本来なら国の融資を受けてトラクターなどの機械化をしてするのが普通ですがすべて手作業でおこないました。危険をおかしだれもが「珈琲などできない土地」、「国も見放した土地」で1980年に最初の収穫ができ、さらにこれが高品質だったことは非常に感動しました。その後国もこの土地を珈琲栽適合地としてみとめ、農場も順調に拡大していきます。しかしここでうまくいくと今度は鉱山に夢がふくらみ、ガリンペイロ(金鉱堀)の事業に進出します。見事事業は失敗。利益の出ていた農場も1991年の珈琲相場の急落から行きづまり大きな負債を抱えます。その時子供は5人になり、どうにもならなくなり二男マルセロと二人で日本へ出稼ぎに。その時長男リカルドは西村農業学校で最新式の農業を学び(この時下坂さんの長男優とは同級生)今の農場経営の礎をつくります。

振り返ればこの時が一番苦しい時。その後出稼ぎからもどったヨシマツさんと二人の息子はいろいろな改善点を加え、とく珈琲栽培に欠かせない灌漑設備や乾燥機、倉庫、収穫機などを充実させ、とくに今は環境保護をもくてきにした自然を大事にする農業に取り組んでいます。つねにチャレンジしつづけたヨシマツさん、それを受け継ぐ二人の子供、いままで珈琲がとれないとされてきたジアンマンチーナいまでも栽培地位は、地域全体で340ヘクタール、その中でヨシマツの農場は80ヘクタールを占める。今まで日本に紹介されたことがなかった「ジアマンチーナヨシマツ」日本のみなさんに受け入れられることをヨシマツさんと息子たちは望んでいます。

農園データ

農園名 Riacho das Varas
所在地 Distrito de Conselheiro Mata – MG 220, km 157  Diamantina Minas Gerai  Brasil
S 18º 17´ 41,4”  W043º 57´ 00.2
標高 1047m
総面積 554ha
珈琲栽培面積 87.8ha
珈琲栽培本数 313500
品種 Mundo Novo, Catuaí, Catucaí
年間生産量 4200bags


スペシャルティコーヒー

スペシャルティーコーヒーという言葉は1978年、米国クヌッセンコーヒーのクヌッセン女史がフランスの国際コーヒー会議で使用したのが始まりです。
そのコンセプトとして(Special geographicmicroclimates produce beans with unique flavorprofiles)=(特別な気象や地理的条件がユニークな香味を持つコーヒー豆を育てる)というものでした。

単純明快のこのコンセプトは80年代のアメリカの急激なコーヒー消費落ち込みの救世主となりました。「スターバックス」です。スターバックスはヨーロッパの深入りのコーヒーを使用したエスプレッソという武器で瞬く間に人々に支持されていきました。その旗印が高品質の証「スペシャルティーコーヒー」でした。その後、アメリカはたった10年でそれまでの「低品質コーヒー大国」から「高品質コーヒーの先駆」にまで成長しました。
この背景にはコーヒー生産国の生産性向上のための品種改良が問題点です。

世界中のコーヒー生産国がおこなった生産性向上のための品種改良は必ずしも味覚面の品質向上とはならなかったということです。豆の見た目は良いのですが、見た目と味が釣り合っていない見かけ倒しのコーヒーが横行していたという事実があります。そこで消費国の在来品種見直しの声が高まりました。スペシャルティーコーヒーの定義は各国のスペシャルティーコーヒー協会に委ねられています。参考までにアメリカスペシャルティーコーヒー協会(コーヒーを消費する側の評価基準)の大まかな基準を挙げます。

1)豊かなフレグランス(焙煎後のコーヒーの香り、挽いたときの香り)は あるか。
2)豊かなアロマ(抽出したコーヒー液の香り)はあるか。
3)豊かな酸味はあるか。(豊かな酸味は糖分と結合してコーヒー液の甘みを増加させる)
4)豊かなコク(コーヒー液に濃度と重量感があるか)があるか。
5)豊かな後味はあるか。(飲んだ後、もしくは吐き出した後の風味をどう評価するか。)
6)豊かなフレーバー(口蓋でアロマと味わいを同時に感じることで香味を関知する)があるか。
7)バランスはとれているか。

また、生産国側におけるスペシャルティーコーヒーの評価基準ですが。

1)コーヒーの品種は何か。(アラビカの在来種、ティピカ、ブルボンが望ましい)
2)どんな栽培地で育てられるか。
(栽培地、農園の標高、地形、気候、土壌、精製法が明確に特定されているか)
3)高水準の収穫、精製がおこなわれているか。
完熟豆の比率を高め、欠点豆の混入を最小限にとどめているか

今までの豆の評価基準は外見上の見てくれ(スクリーン)や欠点豆の混入率で決められていた。
ここに味覚状の評価を導入したところが鍵となります。
このようにスペシャルティーコーヒーの基準は高く、もちろん自然と水準が高くなるのは判ります。しかし、ここで危険なのは「スペシャルティーコーヒー」を使っていることに対する安心がすべてを満たしてしまうということです。

スペシャルティーコーヒーを扱う業者(個人自家焙煎店)のコーヒーに対する知識や腕、味覚がなければいくら良い豆でも生かされません。豆を選択する基準が単純に(高品質)=(高価格)で選んでしまう…ということもあるのではないでしょうか?