1月16日

この旅が始まってから、緊張と期待で体を休ませる手段は「疲れ」から来る睡眠でした。いやぁ~、昨日はよく眠れました。今回の旅の一番良いホテルは疲れを癒してくれました。
本日の予定はイエメンの中で緑豊かな土地ジブラとイップの見学ですが、ここで若干の予定変更。イップの見学を取りやめてサナアに戻る途中、イエメンで初めてコーヒーをプランテーションとして栽培したホダインに立ち寄る事になりました。

タイズに入る手前。山間の緑豊かな風景に驚きました。

タイズに入る手前。山間の緑豊かな風景に驚きました。

到着してすぐ、ミナレットが見えます。

到着してすぐ、ミナレットが見えます。


標高約2000mに位置するここジブラは、今まで見てきた北イエメンの山岳地帯とは緑の感じが違うように思いました。背の高い木が多いのです。日本の山肌ほど木はありませんが、イエメンの中では比較的日本に近い感じです。


街の中を歩くと大体どの位置からもミナレットが見えます。

街の中を歩くと大体どの位置からもミナレットが見えます。

ミナレットのすぐ側にあるアルワ・モスク。

ミナレットのすぐ側にあるアルワ・モスク。



ジブラはかつて、女帝アルワが治めた街でした。11世紀後半のスレイヒ朝の王アハマド・アル・ムカッラムは妻アルワの政治的才能を認め国事を彼女に委ねていました。このとき彼女は国内を視察して回ったあと、サナアの民衆を集め夫に示しながら「ご覧なさい、見えるものは剣の光と野蛮な刀、それに槍の矛先のみです」と言い、次に夫をジブラに連れて行き「ご覧なさい、見えるものは羊飼い、そして油と蜂蜜の壺を持っている人ばかり。こうした人々の中で暮らす事がどれほど良い事でしょう。」と言ったのでムカッラム王はサナアからジブラへの遷都を決意したそうです。
男女が平等とは言い難いイエメンにおいて、11世紀に女帝が治める事実は(シバの女王も同様ですが)実に面白い。能力あるものが指導する。これこそが国を安全に、かつ進歩的な舵の取り方ではないでしょうか。

茶色のこのミナレットは約500年前に建てられたそうです。下の白いミナレットと向かい合わせに立ってます。間にはモスクがあり、時間帯がお祈りの時間とずれていましたが、数人がアッラーに祈りを捧げていました。

茶色のこのミナレットは約500年前に建てられたそうです。下の白いミナレットと向かい合わせに立ってます。間にはモスクがあり、時間帯がお祈りの時間とずれていましたが、数人がアッラーに祈りを捧げていました。

この白いミナレットは約1000年前。つまり女帝ジブラが治めた時代に建造。風化しにくいのは漆喰で定期的に表面を保護するため。まさに信仰心の象徴。

この白いミナレットは約1000年前。つまり女帝ジブラが治めた時代に建造。風化しにくいのは漆喰で定期的に表面を保護するため。まさに信仰心の象徴。



女帝は都をジブラに移し、70年間に渡り国を治めたそうです。なんと彼女は92歳まで生きたそうです。イエメンにおける平均寿命は1990年の調査で46.3歳。これは乳幼児の死亡率が高いためにこのような数字になるらしい。強い生命力が生き残る環境では強い人は自然と長生きできるのでしょう。アルワ女帝は国と自然、そして信仰を大切にしました。彼女はモスクを沢山つくりました。しかも女性用のモスクも造ったそうです。

モスクに入る前に手足、口などを洗うための水道。

モスクに入る前に手足、口などを洗うための水道。

外側から見たモスクの様子。

外側から見たモスクの様子。



モスクの中は基本的にイスラム教徒でなければ入る事は許されません。「入り口までなら」という許可が出たので様子を見る事が出来ました。入り口には年齢は判りませんが、管理者の一人だと思われる方がムスリムでもない私達を迎えてくれました。

入り口すぐ隣、この木のベットは死者を運ぶベットだそうです。

入り口すぐ隣、この木のベットは死者を運ぶベットだそうです。

中側から見たモスクの様子。入り口までの入場が認められました。

中側から見たモスクの様子。入り口までの入場が認められました。



死者は今でも土葬だそうです。遺体を清め、布にくるみ、墓場まで木のベットで運び土葬するそうです。

モスクから下る途中、花売りの少女。現在のジブラは観光都市でもある。イエメン人が緑多い場所として(もちろんアラブの中で)自慢の観光スポットだからである。

モスクから下る途中、花売りの少女。現在のジブラは観光都市でもある。イエメン人が緑多い場所として(もちろんアラブの中で)自慢の観光スポットだからである。

観光客は我々以外にイタリア人が目に付いた。飛行機の中でも思ったのだが、イタリア人はイエメンブームなのか?イタリアに興味を持ちイタリアに行き、その3年後イエメンにいる自分が面白く思えた。たしかに、イタリアもイエメンも歴史が作り上げた都市であるのは間違いない。(勝手に)同行した案内役の少女は英語、イタリア語、ギリシャ語が喋れて、現在ドイツ語を取得中だそうだ。

観光客は我々以外にイタリア人が目に付いた。飛行機の中でも思ったのだが、イタリア人はイエメンブームなのか?イタリアに興味を持ちイタリアに行き、その3年後イエメンにいる自分が面白く思えた。たしかに、イタリアもイエメンも歴史が作り上げた都市であるのは間違いない。(勝手に)同行した案内役の少女は英語、イタリア語、ギリシャ語が喋れて、現在ドイツ語を取得中だそうだ。



ドーム上の白いモスクは12世紀の終わりに建設されたアルワ・モスク。アルワ女帝死後にアルワ宮殿跡といわれるダール・アル・イッズの横に建設され、金曜日の昼の礼拝には町中の全てのモスクが閉まり、町中の人がこのモスクに集まるそうです。

本日のコーヒーの旅であるホダインはコーヒーの栽培が始まった場所と言われています。イスラムでは1454年にコーヒーを飲むようになったと言われるのがアデンの宗教学者ザブハーニーです。
あくまで、「豆を焙煎して煮出す」その「覚醒作用」に注目したと言う意味ではスーフィーの修行者であった彼が最初。
修行僧が飲んでいる液体を「モカ」で見たオランダ商人がコーヒーを輸出したというのは(1月15日)で記述しているので参考にしてください。
ホダインはコーヒー発見伝説のウーサブと積出港モカとの間に位置する場所で標高約1235m。伝説を裏付けるために(商業的に)作ったプランテーションではないか?との見方もあります。

収穫の時期が終わっているため、実も花も皆無。ポツリと咲いてあったコーヒーの花。

収穫の時期が終わっているため、実も花も皆無。ポツリと咲いてあったコーヒーの花。

同じくコーヒーの実

同じくコーヒーの実



訪れた農園は150年の歴史を持つ農園でワディー(涸れ川)に沿うように栽培されていました。農園と言っても整地後、コーヒーを植えたと言うわけではありません。もとからあった森の中にコーヒーの木を植えて育てた場所でした。つまり、コーヒー栽培に必要なシェードツリー(コーヒーの木に日光が当たりすぎるのを防ぐコーヒーより背の高い木の事)がある所にコーヒーを植えたのです。

シェードツリーの木(隣のバナナの木も)。

シェードツリーの木(隣のバナナの木も)。

水不足のため元気がないコーヒーの木。

水不足のため元気がないコーヒーの木。



明らかに管理不足の状態。自然のままに生えて自然と実をつけたものを収穫していたのでしょう。ここに管理されない訳も潜んでいます。豆を収穫して出荷する際に必ず仲買人に豆を売ります。売る方は少しでも高く、買う方は少しでも安く取り引きしようとします。お互いの間を取って交渉が成立するわけですが、売る方は売るまでにいかに経費をかけないかで利幅がきまります。おそらく、管理がなされてないのはこのためでしょう。
しかもこの地方2005年1月の時点で8年ほど雨量がほとんど無いそうです。結果、コーヒーは実を結ぶ事が無く木は痩せていくばかりです。

この農園ではシェードツリーが枯れているという有様。 シェードツリーがかなり高くのびていると言う事はコーヒーの木と同時に植えられていないと言う事でもある。 このシェードツリーも含め、全体的に緑に生気がありませんでした。

この農園ではシェードツリーが枯れているという有様。
シェードツリーがかなり高くのびていると言う事はコーヒーの木と同時に植えられていないと言う事でもある。
このシェードツリーも含め、全体的に緑に生気がありませんでした。

コーヒーの木は一カ所に数粒の種をまいて育てる方法。木はカットバックされていないので上に上にと伸びています。 栄養はワディーの泥を使います。雨が降らない、川に水が少ない、となると栄養も与えられません。一時的な天候以上なのでしょうか?それとも地球が変わってきてるのでしょうか?

コーヒーの木は一カ所に数粒の種をまいて育てる方法。木はカットバックされていないので上に上にと伸びています。
栄養はワディーの泥を使います。雨が降らない、川に水が少ない、となると栄養も与えられません。一時的な天候以上なのでしょうか?それとも地球が変わってきてるのでしょうか?



ホダインはモカ港とも近く、伝説が生まれたウーサブを奥にする場所。
かつて、伝説のウーサブ産のコーヒーとして売られていたかもしれない。ひょっとして、この木の先祖をたどれば伝説を紐解く鍵になるかもしれません。果たして伝説は真実か否か。ホダインはモカコーヒーにとって重要な産地です。

この状態からも判るように明らかな水不足と栄養不足。

この状態からも判るように明らかな水不足と栄養不足。

木も土も痩せてしまってます。

木も土も痩せてしまってます。



コーヒーがよく育つ土地柄はイエメン人の嗜好品でもある同じアカネ科のカートも良く育ちます。コーヒーは外貨を稼ぐ年に数回の手段ですが、カートはすぐ現金収入になります。イエメンコーヒーはその産地をカート栽培に移行されている問題があります。ひょっとしたらこの場所もいずれカート栽培に移行するかもしれません。

もう一つのイエメンコーヒーの現実を目の前にしてホダインを後にしました。サナアに向けてホダインを夕方に出発。到着は9:00過ぎるなぁ、と思いながら。明日の夜にはもう一つのモカコーヒーの産地エチオピアに出発です。