1月14日

ホディダのホテルは海抜が低いためにそれなりの暑苦しさが。前日、山から山間部を抜けて海に出るまでの間、徐々に体感温度が上がり始めていました。いろいろな表情を併せ持つ国です。
午前中は朝の水揚げでにぎわうホディダを見学。ここホディダは、イエメンの国際貿易港としての顔があります。イエメン産の珈琲はそのほとんどが西部山岳地帯で収穫されます。首都サナアから途中集散地マナハに集められ、脱穀、取引となります。そのほとんどがここホディダで船積みされていきます。

港は明るいペイントの船が所狭しと停泊します。

港は明るいペイントの船が所狭しと停泊します。

市場の様子。

市場の様子。



陸に上がった鮫。大量の鮫を(多分一生分)見た気がします。

陸に上がった鮫。大量の鮫を(多分一生分)見た気がします。



港町としての活気には勢いがあり、陸揚げされた魚が庶民に渡っていきます。いろいろな魚を市場で見ましたが、なかには体長1.5m~2.5mはあるかと思われる鮫なども。しかしそのほとんどがヒレを切られていました。
集荷、船積みされる以上。ここには、やはりコーヒーの最終集荷場がありました。数十人の少女達がアルカブースの集荷場で作業していました。作業内容は欠点豆の選別。少女達はゆわゆる黒いイスラムのフードを被っていましたが、エチオピア・ソマリアからの出稼ぎの少女達です。

イスラム教の国である以上最低限の規則としての服装。粉塵が多く、マスクは必需品

イスラム教の国である以上最低限の規則としての服装。粉塵が多く、マスクは必需品

アルミの大きな皿に豆を入れて欠点豆を探していきます。

アルミの大きな皿に豆を入れて欠点豆を探していきます。



麻袋に詰められて出荷を待ちます。

麻袋に詰められて出荷を待ちます。



選別などの作業は主に女性の仕事のようです。見張り役の女性がいましたが、別段、強制労働のようには見えませんでした。写真を向けると撮られたくないような素振りを見せる女性もいますが(イスラムでは女性にカメラを向けるのはタブー。今回はアルカブースに許可を得ての撮影)出稼ぎの少女達はカメラに抵抗がありません。むしろ撮ってもらいたい様子。

人数は数えていませんが、豆の選別は人の手で行われています。少女達の座るエリアは、選別を始めたばかりのエリア、中級者エリア、上級者と別れています。欠点豆の量がたしかに違いました。

人数は数えていませんが、豆の選別は人の手で行われています。少女達の座るエリアは、選別を始めたばかりのエリア、中級者エリア、上級者と別れています。欠点豆の量がたしかに違いました。



イスラムで金曜日はわれわれの日曜日です。この日は集積場は休みのはずですが、どうやら我々のために仕事の模様を見せてくれたようです。

一つ、イスラムの感覚についてお話しいたします。私達の一日の時間の感覚は、深夜零時より次の日に変わりますね。たとえば14日(金)の始まりは深夜零時から24時間。しか~し、イスラムでは日が昇り、日が沈むまでがその日なのです。朝のコーランで目覚め、日が暮れると次の日となります。たとえば、14日(金)の夕方にイエメン人に「今日何日だっけ?」と訪ねると、「15日(土)」と答えてくれます。夜と昼の世界。ここから千夜一夜の物語が生まれたのでしょう。

ベイト・アル・ファーキフ。イエメンの有名な金曜市。様々な品物が並び、日用品など、ここでかなりのものが揃う。有名なところでティハーマ織り。

ベイト・アル・ファーキフ。イエメンの有名な金曜市。様々な品物が並び、日用品など、ここでかなりのものが揃う。有名なところでティハーマ織り。



途中、かつてのコーヒー集散地ベイト・アル・ファーキフに立ち寄り、市場を見学。イエメンコーヒーのすべてがここに集まり、モカ港より世界にコーヒーが渡って行きました。今現在、コーヒーの取引は行われていませんが、訪れた曜日が金曜日とあってかなりの人混み。

発祥伝説の場所はミシュラファの奥地。ウーサブは広大なエリア故に、特定が難しい。

発祥伝説の場所はミシュラファの奥地。ウーサブは広大なエリア故に、特定が難しい。



さて、本日の旅の目的はコーヒー発祥伝説に迫ります。まずはおさらい。発祥伝説に触れてきましょう。

「オマール発見説」・・アラビアの回教徒シェーク・オマールは道徳上の過ちにより、イエメンのモカからオーサバ山中(ウーサブ地方 モカより北方約100Km)に追放の身となりました。飢餓に苦しみつつ山中をさまよううちに、その不幸を嘆き師アル・シャージリの名を叫びました。すると一羽の鳥が枝にとまり、妙なる調べでさえずりました。手を伸ばすとそこにはコーヒーの花と実がなっていました。彼はその果実を採り、持ち帰って煮出し、飲んでみたところ、心身に精気がよみがえる効力を知りました。医者でもあったオマールは、この実を使い多くの病人を救ったので、ほどなく罪を解かれ、再び聖人としてモカに迎えられました。

そうです。発祥を確かめるべく。ウーサブのエリア、ミシュラハの奥地を目指します。ウーサブと言うエリアはとても広いらしく、「ここ」を特定するのはとても困難な作業です。
舗装道路から途中、ワディーに入り走り続ける事約3時間。道程は長く、コーヒーの木の姿無く。むしろワディーに沿ってバナナとマンゴーの畑が続いていきます。発祥にあるように鳥の姿は不思議とあまり見ませんでした。
ようやく見えてきたウーサブの標高は500m。実際現地に行くと発祥には遠い気がしてきました。村の人の話では、伝承について聞いたことがないらしく。15年前までは、この地域でもコーヒーは育てていたらしいのですが、現在はマンゴーもしくはカートが育てられているとのこと。残念。しかし、有力な情報として奥の山では今でもコーヒーは生産されているとのこと。伝説の検証はまだ終わりません。


ウーサブ全景。奥に見える山ではコーヒーの生産は行われている。

ウーサブ全景。奥に見える山ではコーヒーの生産は行われている。

村の裏から山を望む。ここからだとトレッキングになるらしいが、別の道からは車が入れるとのこと。

村の裏から山を望む。ここからだとトレッキングになるらしいが、別の道からは車が入れるとのこと。




伝承はイスラム発祥説とも言われています。当時の積出港「モカ」とウーサブの手前「ホダイン」(農業としての、プランテーションコーヒーの生産はホダインから始まったと言われる)を結びつけて、商業的な伝説を創ったのではないでしょうか?ホダインはプランテーションである故に、伝説的な売り文句でウーサブの発祥を考えたのかもしれません。しかし、検証するまでは終わりません。いずれこの裏の山に入って検証したいと思いました。(実は本気で思ってます。)

村の入口の大きな木。この木ならシェーク・オマールの話を聞いていたかも知れません。

村の入口の大きな木。この木ならシェーク・オマールの話を聞いていたかも知れません。