1月15日

コーハのホテルには前日、10時頃到着。
旅の疲れを熱いシャワーで・・と言いたいですが、お湯が出ない・・蚊はいる、ダニに咬まれる、で見た目はかなり良いホテル(コテージ風の)なのに、旅のワースト3に入るホテルでした。(後に聞いた話。火を付けている蚊取り線香に蚊が止まってた部屋があるらしい。)
しかも、本日は5時起き、6時朝食、7時出発。過酷です。
しか~し、本日の予定はなんと「モカ港」です。コーヒーを志す者の聖地。過酷だなんて言ってられません。

モカ港までの道は平地をひたすら駆け抜けます。必然的に気分は盛り上がって来ます。

モカ港までの道は平地をひたすら駆け抜けます。必然的に気分は盛り上がって来ます。

来た道を振り返ります。この側には昔ながらの佇まいの(アフリカ系移民)マッシュルーム型の家が。

来た道を振り返ります。この側には昔ながらの佇まいの(アフリカ系移民)マッシュルーム型の家が。




モカ港までの道中、軍が先導。今考えれば危ないところなんだろな。と思う。モカ港まではほぼ一直線の長い道。運転手のおいちゃんは車を併走しながら腰のジャンビーアを抜いて片手でジャンビーアダンス。ノリノリです。砂埃を上げて滑走する4WDはまるでテレビの特番で見た秘境の旅そのもの。ほんと、車の走行だけで良い経験ができてます。

途中、軍事施設を抜けていきます。軍事施設には付き物の巨大な発電所を横目に(もちろん撮影禁止地帯)約30分。そこに憧れの港「モカ」の姿がありました。青い空とエメラルドグリーンの海は一生の宝となりそうです。

かつて、コーヒー貿易で莫大な富を得たモカ港。今は昔の佇まいをひっそりと残す。

かつて、コーヒー貿易で莫大な富を得たモカ港。今は昔の佇まいをひっそりと残す。

海は遠浅の海岸線。旧市街と軍事施設が並ぶ現在のモカ港。

海は遠浅の海岸線。旧市街と軍事施設が並ぶ現在のモカ港。




現在のモカはコーヒー貿易が栄えていた頃の名残である「旧市街」と、その側には軍事基地があるという2つの顔がありました。

桟橋の跡。

桟橋の跡。

桟橋の反対側には砲台の跡が。

桟橋の反対側には砲台の跡が。


そして、海に向かって、ミナレットが佇みます。

そして、海に向かって、ミナレットが佇みます。



砂浜での撮影会が終わるとなんと、漁船に乗り込み海からのモカ港探索です。3台の漁船に分かれ、海より眺める旧市街に18世紀の商人達と同じ視線にいる自分に感動です。

貴重な体験でした。エメラルドグリーンの紅海にかつての繁栄を想像しました。

貴重な体験でした。エメラルドグリーンの紅海にかつての繁栄を想像しました。

海からの「モカ港」。ミナレットが灯台のごとく存在します。

海からの「モカ港」。ミナレットが灯台のごとく存在します。




かつてのコーヒー貿易の栄光はコーヒーが出荷される前に集められていたという税関所の跡や桟橋の跡、砲台跡など崩れていくのではないかと思うような所ばかり。

イタリア領事館跡。かつての繁栄の跡をひっそりと今に残しています。輸出国の中で一番最初に領事館を建てたのはイタリア。

イタリア領事館跡。かつての繁栄の跡をひっそりと今に残しています。輸出国の中で一番最初に領事館を建てたのはイタリア。


コーヒー商館の一つ。オランダ領事館。イエメンからの輸出はオランダが最初に手がけた。

コーヒー商館の一つ。オランダ領事館。イエメンからの輸出はオランダが最初に手がけた。

税関所の跡。今は建物の名残は柱のみになっていました。

税関所の跡。今は建物の名残は柱のみになっていました。




その中で灯台のような存在感の「アル・シャージリー・モスク」は砂の中、一際の存在感でした。

アル・シャージリー・モスク。建物のない中にそびえ立つミナレットとモスクは青い空にその輝きをおとしていました。ここでは今でも礼拝が行われています。

アル・シャージリー・モスク。建物のない中にそびえ立つミナレットとモスクは青い空にその輝きをおとしていました。ここでは今でも礼拝が行われています。



16世紀にこの「モカ」からコーヒーが世界に向けての第一歩を歩み始めます。1602年に設立されたオランダ東インド会社は、アジアとの交易の中継としてイエメンに着目。1618年にはモカに商館開設の許可を得ることができました(同時にイギリスも)。当時、サナアの西、ハラズやバニーマタルで収穫された豆は途中、ベイト・アル・ファーキフで集積され、モカに運ばれ、最初のコーヒーはオランダが1628年に40袋をモカより積み出しました。1661年には、ヨーロッパで始めてコーヒーがアムステルダムで荷揚げ、販売されたそうです。18世紀初頭、イギリスも貿易に参加。コーヒー交易はピークを迎えます。

コーヒーによって莫大な富を得たイエメンですが、やがてコーヒーは南のアデンからも出荷されるようになり、1839年、イギリスがアデンよりコーヒーの買い付けを始めた事と、苗木が外に持ち出され、18世紀中頃から、オランダはジャワで、イギリスはセイロンでのコーヒー栽培を始めたためにモカは衰退を始めます。

そもそも、コーヒーはスーフィー(イスラム神秘主義者)の飲み物でした。ポルトガル人はこのスーフィーの儀式を見て買い付けをはじめました。「アル・シャージリー・モスク」に奉られている人物はまさしく実在した人物アル・シャージリーで、13世紀のスーフィーの指導者でした。後にアル・シャージリー派のサブ・ハーディーがコーヒーを薬としての服用から、飲料としての一般開放を行いました。スーフィーの儀式でも用いられるこの不思議な飲み物「コーヒー」はオランダ人の目に留まり、買い付けられました。「アル・シャージリー・モスク」では、指導者の眠る棺が静かに私達を迎えてくれました。

モカ港の余韻を残し、旅はイエメン第2の都市、タイズへ。

タイズ全景。予想以上の大都市。

タイズ全景。予想以上の大都市。



タイズ到着は夜8時近く。モカを見た興奮と勢いか、タイズの街に繰り出すことに。スークを1時間ほど探索。其処では念願のソウブ(長衣)とイエメン人が携帯するジャンビーア(J字状の短剣)を購入。街は活気があり、食べ物やスパイス、女性用のドレスや装飾品にあふれていました。注目すべきはなんとコーヒーロースターがあったということです。しかし豆を焼くだけの機械という印象が強く、煙突の出し方などは建物の形に沿って配管って感じでした。しかも売り方は挽いたコーヒー豆をスパイスの延長に置いて販売してました。
ローストは浅焼き。お世辞にも品質がよいとは思えませんでした。

今回のホテルは旅行中最高のホテル。部屋は綺麗。バスタブはある。夜景も見える。タイズ来るなら贅沢してここに泊まってみては?ちなみにホテル名は「ソフィテルホテル」。外資系のホテルです。観光にはもってこいの場所。久々にゆっくりと眠れそうです。