1月17日

昨晩、サナアのホテルに到着後、夕食の時間に明日の朝「ヤヒヤさんのコーヒーショップ」に行く人は早起きして出発、寝たい人は寝て良し。と、参加者に挙手をしてもらう場面があった。・・・全員参加、満場一致。
団結力は日増しに強くなる。
朝、6:00出発。サナア旧市街までは徒歩約10分に位置するホテル。

早朝のイエメン門(バーブ・アル・ヤマン)。

早朝のイエメン門(バーブ・アル・ヤマン)。

門をくぐり、広場から見たイエメン門。

門をくぐり、広場から見たイエメン門。


広場スークから「ヤヒヤさんのコーヒーショップ」を目指します。早朝にもかかわらず多くの人で賑わってます。・・・もちろん朝のお祈りの後だからですね。

広場スークから「ヤヒヤさんのコーヒーショップ」を目指します。早朝にもかかわらず多くの人で賑わってます。・・・もちろん朝のお祈りの後だからですね。



ヤヒヤさんのコーヒーショップはイエメンでも珍しいブンを飲ませてくれる店です。アラビア諸国にはマクハと呼ばれる喫茶店がありますが、イエメンではマクハは殆ど無いそうです。ゆわゆる中近東的な風景の一つに「男達はマクハでコーヒーを飲みながら水パイプの煙草を楽しみながらおしゃべりをする」はイエメンには当てはまらないかもしれません。なぜならイエメンには「カート」があるからです。カートはイエメン人の嗜好品で、アカネ科の植物です。新芽部分を口に入れて貯めていき、その葉のエキスを甘いジュースや煙草と一緒に楽しむものです。一回に約200~300枚の新芽を口に含むために(こぶとりじいさん)のようになります。この葉っぱには覚醒作用があり、昼を過ぎたら仲間と集まってカートを噛むのがイエメンにおける喫茶店の役割なのです。つまり、集まる場所があるので「集まる場所」は必要ないわけですね。

朝日を浴びた旧市街の間を抜けていきます。

朝日を浴びた旧市街の間を抜けていきます。

世界遺産登録の町並みはアラビアンナイトの世界。

世界遺産登録の町並みはアラビアンナイトの世界。



イエメンでの一般的の飲み物はシャーイ(紅茶)、またはギシルです。ギシルとはコーヒーの殻の部分で、コーヒーの実を脱穀して種(ブン)は輸出に殻(ギシル)は国内消費されます。イエメン人は別に余った所を飲んでいるのではありません。イエメン人にとってギシルこそ重要。ギシルが彼らのコーヒーなのです。ギシルは保存が利きません。しかしブンは保存が良ければ数年は持ちます。ここに国際商品としてのブンの価値があるのです。

到着しました。ヤヒヤさんのコーヒーショップです。店の大きさは約4坪の小さなお店です。21人+ガイドの我々が占拠した感じです。全員、ギシルとブンを注文しました。 ギシルは一杯約10円。ブンは約15円とちょっと高め。

到着しました。ヤヒヤさんのコーヒーショップです。店の大きさは約4坪の小さなお店です。21人+ガイドの我々が占拠した感じです。全員、ギシルとブンを注文しました。
ギシルは一杯約10円。ブンは約15円とちょっと高め。

カフワ・アル・ギシル

大きなヤカンの中にギシルと水、それにカルダモン・シナモン・ジンジャー・砂糖を入れて煮出します。イエメンではそれぞれの家庭でのレシピがあるそうです。ゆわば「お袋の味」。ギシルは正式には「カフワ・アル・ギシル」ギシルコーヒーと言う事です。味はショウガが利いて体が温まります。葛根湯に似ている味と言えばいいのでしょうか。個人的には好きな味でした。


ブンは正式には「カフア・アル・ブン」。抽出方法はトルコ式。

ブンは正式には「カフア・アル・ブン」。抽出方法はトルコ式。

ブンの抽出は注文の度に作ります。ギシルに比べ時間がかかります。

ブンの抽出は注文の度に作ります。ギシルに比べ時間がかかります。



オスマントルコの強大化により、イスタンブールのカリフは1517年、サナアを軍により占拠。紅海沿岸で活動していたトルコ人も一掃して南アラビアを支配。トルコ第一次イエメン占領は1642年まで続きます。この後19世紀までイエメンはオスマン帝国の版図の中にあり、外交権を持たなかったので「モカ港」を通じたコーヒー取引しか外国との接触はありませんでした。しかし、インド洋交易の主導権を握ったイギリスが1839年にアデンを軍事占拠して以降、イエメンは近代世界との接触が始まります。
1869年にスエズ運河開通。アデンは東西航路の重要な中継地点になり、これに危機感を覚えたオスマントルコは名目化していたイエメン支配を強化します。1872年に軍隊を送り、第2次イエメン占領が始まります。
その後、1904年。イギリスとオスマントルコの間で条約が結ばれ、北側をトルコ、南側をイギリスの勢力圏とする事で合意(なんと勝手な事でしょうか。)南北イエメンの境界線が決められてしまったのです。
この歴史的背景から、ブンの抽出方式がトルコ式なのは納得できます。

ギシルをヤカンからすくうにはイブリックの様な道具を使います。

ギシルをヤカンからすくうにはイブリックの様な道具を使います。

旅も中間に差し掛かると馴染みます。左:モアのマスター堀さん。右:金沢大学教授、広瀬さん。

旅も中間に差し掛かると馴染みます。左:モアのマスター堀さん。右:金沢大学教授、広瀬さん。



世界遺産に登録(1986年)されているサナア旧市街は2500年以上も前から人々の暮らしが続いていると言われています。一説に、その歴史は旧約聖書創世記にまで遡ります。「ノアの箱船伝説」です。ノアの箱船が大洪水の後、定説ではトルコのアララット山に漂着したと言われてますが、イエメンにはサナアの東、ヌクム山に箱船が漂着したという説があります。洪水が収まった後、ノアの息子セムがこの地にやってきて町を開いたので「セムの町」サナアとなったという伝説だそうです。

日が徐々に高度を上げ、美しい街並みを照らし始めます。

日が徐々に高度を上げ、美しい街並みを照らし始めます。

旧市街でも古い家と新しい家があり、古い家は300~400年前に建てられたものがあります。写真は比較的新しい建物。

旧市街でも古い家と新しい家があり、古い家は300~400年前に建てられたものがあります。写真は比較的新しい建物。




ハンマーム入り口。ハンマームとは公衆浴場、トルコ式のサウナ。

ハンマーム入り口。ハンマームとは公衆浴場、トルコ式のサウナ。

ハンマームの外観。燃料などが置かれていました。

ハンマームの外観。燃料などが置かれていました。




サナア建造物は高いもので8階建てがあります。約地上25mになるこの高層建築はイエメンならではの部族社会から生まれました。それぞれの部族は居住エリアを決め生活します。月日を重ねると町の人口は増えていきます。でも土地は広げる事が出来ません。では、どうするか?・・そうです、上に伸ばすのです。こうして世界最古の摩天楼都市が誕生したのです。

マフラージから見た旧市街。マフラージとは応接間で、もてなすための特別な部屋。カートパーティーもここでします。

マフラージから見た旧市街。マフラージとは応接間で、もてなすための特別な部屋。カートパーティーもここでします。

マフラージの中の様子。この場所には靴を脱いでマットレスに座るかたちになる。かなりくつろげます。

マフラージの中の様子。この場所には靴を脱いでマットレスに座るかたちになる。かなりくつろげます。



マフラージは日本人には大変馴染みやすい習慣とくつろぎをもてなしてくれます。この場所で気の合う仲間と集まり、カートを噛んでおしゃべりする。この一日の日課を楽しみにするのは良く分かります。

続いて、旧市街コーヒー取引所の見学です。コーヒー卸売市場は「コーヒー・サムサラ」又は「ジュムルク」と呼ばれ、良質の北イエメン産「バニーマタル」などがここで検品、検量後、市場に出荷していました。しかし、現在では仲買人や(比較的大きい)農園主が直接輸入業者に持っていく事が多いため、必ずしもこの場所に良いものがあるとは限らないらしい。

ジュムルクの巨大な天秤。決まった重さの石とを天秤にかけ、公正に取引されます。

ジュムルクの巨大な天秤。決まった重さの石とを天秤にかけ、公正に取引されます。

コーヒーの袋を計る様子。

コーヒーの袋を計る様子。




ジュムルクは中庭吹き抜けの2階建て。豆の保管倉庫でもあるために物搬しやすい構造となっています。

ジュムルクは中庭吹き抜けの2階建て。豆の保管倉庫でもあるために物搬しやすい構造となっています。

ここにも石臼がありました。石臼で脱穀したコーヒーは良質なブンとギシルになります。

ここにも石臼がありました。石臼で脱穀したコーヒーは良質なブンとギシルになります。




ジュムルクの近くにアルカブース社があります。イエメンの輸出会社でスパイスや紅茶も取り扱ってます。

アルカブース社の看板。この近くにスパイス・スークがあります。

アルカブース社の看板。この近くにスパイス・スークがあります。

入り口には日本製のカップが売っていました。奥には脱穀機が。

入り口には日本製のカップが売っていました。奥には脱穀機が。



イエメン国内で消費されるコーヒーの品質は悪い。4~5級品らしい。

イエメン国内で消費されるコーヒーの品質は悪い。4~5級品らしい。

国内消費のために焙煎された豆。浅焼きで、焼きムラが多い。

国内消費のために焙煎された豆。浅焼きで、焼きムラが多い。



脱穀されたギシル。約1kgが500YR(イエメン・リヤル)で買えます。

脱穀されたギシル。約1kgが500YR(イエメン・リヤル)で買えます。

185YR=1ドル(2005年1月)。1ドル分だけ買いましたがけっこうオマケしてくれました。

185YR=1ドル(2005年1月)。1ドル分だけ買いましたがけっこうオマケしてくれました。




ギシルを日本に紹介したいのですが、出来ません。それはギシルが輸出に向いてないからです。ギシルは生物で輸出の際、菌を運ぶ可能性があるのと、仮に火を入れて輸出したとしても火の入れ方があまいと醗酵してしまうからです。つまり、ギシルからお酒が出来るのです。

スパイス・スークのイエメン人。

スパイス・スークのイエメン人。イエメン人は写真を撮るときに必ずポーズをとります。サナアの人たちは比較的、快く写真を撮らせてもらえます。ポラロイドがあればプレゼントできたのですが。次回はポラ持っていこうと思ってます。

山積みにされた色々なスパイス。スーク一体がスパイスの香りで充満してます。とにかく安く大量に買えます。オススメはシナモン。木の皮のままで売られています。

山積みにされた色々なスパイス。スーク一体がスパイスの香りで充満してます。とにかく安く大量に買えます。オススメはシナモン。木の皮のままで売られています。



サナア旧市街を見て回った後はサナア国立博物館へ。かつてのイマームが住んでいた場所が今は当時の住まいを残したまま展示品が並べられています。

国立博物館見学後は、アルカブース社の工場を見学。ここではイスマイル産のサンプルを貰ったり、アルカブースの促販ポスター貰ったり。(店の入り口のドアに張ってます。)。工場内は流石、輸出会社です。近代的な設備の中、コーヒーが選別、梱包などの作業が行われていました。

工場内の大型焙煎機。

工場内の大型焙煎機。

小型焙煎機はやっぱりプロバット。

小型焙煎機はやっぱりプロバット。



コーヒー豆の選別機

コーヒー豆の選別機。豆の中に紛れている不純物(ゴミ・小石等)が取り除かれた後、フルイにかけられていました。スクリーンに分けられていたのです。近代化に伴い選別基準を変えているのでしょう。

品質は別室で評価されます。ここでは抽出液の品質をチェックしているようでした。

品質は別室で評価されます。ここでは抽出液の品質をチェックしているようでした。




イエメンモカは主に産地名だけで取り引きされ、欠点豆の混入量でナンバーが決められていました。現在でも概ねそうですが、この工場のようにスクリーンをしっかり分けた上で出荷しているというのは近代化の影響でしょうか?しかし、イエメン最高級品に位置する「バニーイスマイル」産のコーヒーはスクリーンだけでは出荷できないような豆です。このギャップを「近代化」で変えて欲しくないものです。

国内出荷用のコーヒー。焙煎してグラインドしたものが袋に詰められていました。

国内出荷用のコーヒー。焙煎してグラインドしたものが袋に詰められていました。

工場内の様子。工場はサナアの一等地にあります。回りは豪邸が多い。

工場内の様子。工場はサナアの一等地にあります。回りは豪邸が多い。



工場見学後、アルカブース社の社長宅に昼食を呼ばれました。イエメンの食事は何処で食べてもスタイルは大体同じです。羊の肉のシチュー、トマトで煮込んだスープにホプスとよばれるインドのナンのようなパンとお米、生野菜。しかーし、アルカブース社長宅で食べたイエメン食が一番おいしかった。完全に食材の違いです。ここの食事はもう一度食べてみたいものです。

昼食後、イエメンのコーヒーを日本の市場に紹介した珈琲美美・森光さんと日本の貿易会社ワタルがアルカブースから表彰されるという一幕がありました。

昼食後、イエメンのコーヒーを日本の市場に紹介した珈琲美美・森光さんと日本の貿易会社ワタルがアルカブースから表彰されるという一幕がありました。

記念に送られたジャンビーア

その時の記念に送られたジャンビーア。とても立派です。森光さんはイエメンモカコーヒーに大きな光を当てました。その光は今年、日本の市場に紹介されなかった新しいモカコーヒー「ムニールモカ」に繋がりました。南イエメンの最高級コーヒー「ヤーフェ」地方の豆です。ムニールとはアラビア語で「光」。アルカブーススタッフが森光さんを呼ぶ愛称です。




なんと、時間を調整してイエメンの大統領がいらっしゃいました。大統領のイエメンコーヒーのこれからに対する期待などのスピーチがありました。
凄い事です。モカコーヒーを巡る旅でここまで濃厚な旅はこれから先無いのではないか、と思う瞬間でもありました。同時に、次に伝えていくのは自分のような若い世代なんだという気持ちにもなりました。

エチオピア行きの飛行機の時間まで結構やばい状態でした。一人、時計を気にする添乗員の茅根さん。このときはおつかれさまでした。2時間前には行動しなくてはなりません。滑り込むようにエチオピア行きの飛行機に。
6:00フライト。エチオピア首都アディスアベバまでは1時間45分のフライトです。
到着は定刻通り。入国審査で時間がかかりました。なんでもこの時、エチオピアのテレビ局が日本からやってきた私達を取材するとのこと。現物は見てないのですが後日、新聞に載ったそうです。
到着後。早速、バスで移動。エチオピアの伝統的な食事を出してくれるお店で遅い夕ご飯。・・・この時、「ヤバイ」と思いました。「ヤバイ、食事が口にあわん」。全体的に発酵食品が多いため酸味の強い食事なのです。しかもカライ。タイ料理のような(スッパカライ)なら食べられるのですが、エチオピア料理は(カラスッパイ)のです。似てるようでえらい違いです。
イエメン料理は口に合っていただけに軽いピンチでした。

ここでは大変なおもてなしでした。生演奏あり、歌あり、踊りあり、アルコールあり、食事あり。 コーヒーセレモニーもありましたが詳しくは後日のページで。

ここでは大変なおもてなしでした。生演奏あり、歌あり、踊りあり、アルコールあり、食事あり。
コーヒーセレモニーもありましたが詳しくは後日のページで。



ここではエチオピアの輸出会社モプラコ社ヤニ社長が合流。テレビ局の取材が始まりました。我々、日本コーヒー文化学会の旅の目的の一つ「ジェルジェルツーの世界遺産登録」がありました。しかし、テレビ局の制作スタッフが「世界遺産って何?」という状態。無理もありません、文化よりも明日の食料。この国の一面です。

取材中の様子。奥がヤニ社長。右がテレビ局スタッフ。左は広瀬教授。

取材中の様子。奥がヤニ社長。右がテレビ局スタッフ。左は広瀬教授。

左から広瀬教授、森光さん、ワタル(株)の西尾さん。

左から広瀬教授、森光さん、ワタル(株)の西尾さん。




旅もいよいよ後半戦。明日からエチオピア編です。