Al Mocha

2005年に訪れたイエメン・エチオピア・UAEの旅行記。
Yemen〈イエメン〉
アラビア半島の南部に位置し、国土は南北におよそ北緯17度30分から12度30分までを占めている。
Ethiopia〈エチオピア〉
東アフリカ大地溝帯が国土を斜めに2分。北緯3度30分から14度55分にまたがる。
UAE
7つの首長国で形成される連邦国家。(UNITED ARAB EMIRATES)。首都アブダビ。

1月18日

前日の夜はアディスアベバのホテルにて一泊。昨日の晩、空港からホテルまでの間、バスの窓から道行く女性の姿を見た。道を歩く女性達の格好は短パンにTシャツ。なんと、肌が出ている。しかも女性がこんな時間町を歩いている。・・・すっかり感覚がイスラムの考えになっているようです。エチオピアはイスラム教徒よりキリスト教徒が多い国。短パンにTシャツなんて別に普通の格好なのに、頭の中では「露出が激しいっ!」と思うわけです。変なクセがついたな~と思いましたが、逆に「慣れ」と「たしなみ」など色々と考えるきっかけにもなりました。

さて、本日はいきなり飛行機でアディスアベバを去ります。東のハラール地区ディレダワに向けて出発です。ディレダワは現地の言葉でディレ(平らな)・ダワ(薬)ここはその昔、薬草の採れる場所からその名前が付いたそうです。現在、エチオピアのコーヒー集散地のひとつで、東部ハラールで採れたコーヒーの卸売市場があります。
ディレダワの町にモプラコ社ヤニ社長の家がありました。

工場も兼ねるこの場所は、いきなり麻袋がお出迎えです。

工場も兼ねるこの場所は、いきなり麻袋がお出迎えです。

東部ハラールエリアのコーヒーはヤニ社長自慢のコーヒー。ハラールスターは自慢のブランド。

東部ハラールエリアのコーヒーはヤニ社長自慢のコーヒー。ハラールスターは自慢のブランド。




工場内は近代的な設備と衛生的な環境が整えられていました。エチオピアは世界的にどちらかと言えば貧しい国です。しかし、この設備を見るとそんな感じは吹き飛ぶ思いでした。(しかし、後にこの考え方に複雑な思いが絡んできますが、後日書く事にします。)

豆の選別機。厳密で何重にも行われる選別作業は高品質コーヒーの手助けでもあります。

豆の選別機。厳密で何重にも行われる選別作業は高品質コーヒーの手助けでもあります。


奥では人の手でコーヒーの欠点豆を取り除く作業が行われていました。コーヒーの山を囲むように作業します。

奥では人の手でコーヒーの欠点豆を取り除く作業が行われていました。コーヒーの山を囲むように作業します。

欠点豆を取り除き、良い豆は後ろに回します。終了に近づけば豆の山はドーナツ状に。

欠点豆を取り除き、良い豆は後ろに回します。終了に近づけば豆の山はドーナツ状に。




さて、出発です。ディレダワからハラールの集積地ベデノに向けての長い道のりです。(片道約3時間)
道のりは、ガラ・ムタラ山を沿うように進みます。この山、35kmの長さになる一枚岩の山で、その反対側には広大な大地が望めます。エチオピアの大自然はイエメンの風景とはまるで違うものでした。
ここ、東部ハラール地方は年間雨量1000mm強。土壌は全体的に黒い色をしており、黒色火山灰土壌と呼ばれています。ローム層の様な土壌と言えばいいのでしょうか?
ガラ・ムラタ山の標高は3320m、その下約2400mの標高を進みます。イエメンでもほぼ同じ標高に行きました、が、ここは夏の気温です。空には積雲があり、イエメンとの土地の違いをはっきりと感じました。

山のような岩と言えばいいのでしょうか?ガラ・ムラタ山。イエメンと違い汗ばんできます。

山のような岩と言えばいいのでしょうか?ガラ・ムラタ山。イエメンと違い汗ばんできます。

この周辺の土壌はこのような黒い色をしています。

この周辺の土壌はこのような黒い色をしています。




はたして、イエメンとエチオピア。同じモカコーヒーで良いのでしょうか?
・・・あきらかに違います。

ハラールの西南で収穫されるハラーコーヒーはエチオピアの最高品質を誇ります。16世紀にアラブ商人の要請でコーヒーが栽培され、イエメンに送られて「モカコーヒー」として取り引きされていました。
ハラールを代表する最高級コーヒーはベデノ産とハラワチャ産です。われわれは集積地ベデノを訪れました。

ベデノ到着、アッとゆう間に囲まれました。ここまで来る外国人(しかも日本人)は珍しいようです。

ベデノ到着、アッとゆう間に囲まれました。ここまで来る外国人(しかも日本人)は珍しいようです。

この地区の農民はベデノに豆を運びます。

この地区の農民はベデノに豆を運びます。




昔、テレビの特番でアフリカを探検する番組がありました。番組の中で探検隊が集まっている場面では必ず一定の距離で半円状に原住民が立っているのを見て「なんでだろ」と思っていました。ベデノに到着する前に途中、昼食の時間にテレビと同じ事が起こっていたのです。・・・ビニールシートを広げ昼食を取る我々。半円状に一定距離を保ちこちらを見ている地元の人たち。うぅ、なんか食べにくい。食べ物が欲しい感じでもないのです。なんだか、観察されている感じです。道中、別に村があるというわけでもないのに。しかし、どこから来るのでしょう?未だに不思議です。

集められた豆は1袋あたり86kgに詰められてディレダワへ運ばれていきます。トラック1台あたり120俵積んで運ぶそうです。 日本ならあきらかに過積載です。

集められた豆は1袋あたり86kgに詰められてディレダワへ運ばれていきます。トラック1台あたり120俵積んで運ぶそうです。
日本ならあきらかに過積載です。



ベデノでは集められたコーヒーの実が(コッコ。つまり脱穀前の状態)木の臼を使って脱穀していました。

ベデノの様子。コーヒーを中心とした日々の暮らしがここにはあります。

ベデノの様子。コーヒーを中心とした日々の暮らしがここにはあります。

村の女の子。名前はたしかリリィーちゃん。しかし発音が違うためか名前を呼ぶと笑われた。そんな彼女も自分の顔がインターネットで流れているなんて夢にも思わないでしょう

村の女の子。名前はたしかリリィーちゃん。しかし発音が違うためか名前を呼ぶと笑われた。そんな彼女も自分の顔がインターネットで流れているなんて夢にも思わないでしょう




ベデノからさらに車を走らせてハラールの奥地に。エチオピア最大の目的地ジェルジェルツーという村はここよりさらに奥地。これは明日のお楽しみです。いよいよハラールの農園に到着です。

コーヒーの木は一定間隔で植えられています。畑によって苗木の大きさが異なり、収穫を管理してます。

コーヒーの木は一定間隔で植えられています。畑によって苗木の大きさが異なり、収穫を管理してます。

写真では判りにくいのですが、コーヒーの実です。実は木の上で乾燥して収穫します。

写真では判りにくいのですが、コーヒーの実です。実は木の上で乾燥して収穫します。




ハラールの農園はコーヒーがモカ港より世界に輸出を始めてからの歴史があると言っても過言ではありません。しかし、古くからあるというイエメンの農園ホダインとは整備のされ方が違っていました。ここではプランテーションとしての農園が存在していました。ここでは昔からの農法が守られています。ドライドシェーリングというハラールエリアのみの栽培方法があります。この伝統的な方法とは、自然の雨と(人為的に水をやらない)床を作らずに堆肥とコーヒーの殻を混ぜたものを気の周りに置いて自然に土を作ると言うものでした。結果、木は病害虫や自然災害に強い木へと育つのです。

コーヒーの木とシェードツリー。明らかにほぼ同時期に植えたものでしょう。

コーヒーの木とシェードツリー。明らかにほぼ同時期に植えたものでしょう。

農園の中心にあるコーヒーの木。かなり大きな木です。

農園の中心にあるコーヒーの木。かなり大きな木です。




この農園にあるコーヒーの木は、古いもので樹齢200年を越えるものがあるそうです。幹回りは約50~60cm。上にまっすぐ伸びている健康な木でした。これは、いかに木が丈夫で健康かということです。イエメンでもそうでしたが、樹齢100年を越える木は良い意味で「自然のまま」です。そして完全有機農法。古くから存在するコーヒーの木はひょっとしたら文化的、文明的飲み物コーヒーを作り出す側面として、人の作り出した文明に弱い生き物ではないのでしょうか?

農民達は先祖の残した財産を大切に受け継いでいます。何代も前に先祖が植えた木をその子供達が収穫する。なにも変わらない良いものの例かもしれません。

農民達は先祖の残した財産を大切に受け継いでいます。何代も前に先祖が植えた木をその子供達が収穫する。なにも変わらない良いものの例かもしれません。

樹齢200年を越えるコーヒーの木。まっすぐと空に向かって手を伸ばしているようです。 コーヒーの実は木の上で乾燥させるために、木の枝には実が付いていました。

樹齢200年を越えるコーヒーの木。まっすぐと空に向かって手を伸ばしているようです。
コーヒーの実は木の上で乾燥させるために、木の枝には実が付いていました。




ここの農園ではコーヒーの実を木の上で乾燥させる方法、「ドライオンチェリー」という方法でコーヒーを収穫します。コーヒーは赤くなった実を収穫してその実を乾燥させた後に脱穀します。しかし、ここでは木の枝に実がなった状態で乾燥まで行います。赤い実はやがて黒く堅い実へと変化します。その実を一つ一つ丁寧に収穫していきます。机上乾燥のコーヒーは極限まで木の栄養を実に蓄えます。栄養を沢山たくわえた種子は、甘い余韻を残すコーヒーになります。実際、完熟した赤い実を食べてみました。その果肉はとても甘く、まったく青臭さを感じないものでした。イエメンで食べた完熟の実の味とはまた違った甘みでした。この果肉の甘みは焙煎後、抽出液の甘みの最高点に通ずるのではないかと思っています。

収穫後、この木の臼でコーヒーの実を脱穀します。臼の高さは80cm~1mでしょうか。見た目よりもかなり堅く、重いものです。この臼の中にコーヒーの実を入れて、木の槌で突いて脱穀します。

収穫後、この木の臼でコーヒーの実を脱穀します。臼の高さは80cm~1mでしょうか。見た目よりもかなり堅く、重いものです。この臼の中にコーヒーの実を入れて、木の槌で突いて脱穀します。


脱穀の様子。この時代、手作業で行われている事自体驚きです。かなり重労働。

脱穀の様子。この時代、手作業で行われている事自体驚きです。かなり重労働。

臼の中は渦巻き状に掘られており、脱穀しやすいような作りになっています。

臼の中は渦巻き状に掘られており、脱穀しやすいような作りになっています。



機械化が進み、大量生産、大量消費の世の中で、全てが人の手で行われている事に深く感動しました。ここのコーヒーは一粒たりとも無駄に出来ない。そんな思いでいっぱいです。ここのコーヒーは確かに大量生産できません。しかし、こういった丁寧な仕事が行われている場所こ「世界遺産」に相応しいとおもいます。こういった農園こそ、フェアトレードの重要性があると思います。イブラヒムモカの会ではこういった農園とのフェアトレードも視野に入れて活動しています。

手摘みでの収穫の様子。樹齢を重ねた木は当然、高くなります。高いもので約6~8m。収穫にはラダーと呼ばれる木のハシゴを使い収穫します。

手摘みでの収穫の様子。樹齢を重ねた木は当然、高くなります。高いもので約6~8m。収穫にはラダーと呼ばれる木のハシゴを使い収穫します。

ハシゴは3本の木を組み合わせ、ステップを付けたもの。その上に立ち、収穫作業を行います。ここより奥地のジェルジェルツーではこのハシゴの原形ともいえるハシゴが登場します。

ハシゴは3本の木を組み合わせ、ステップを付けたもの。その上に立ち、収穫作業を行います。ここより奥地のジェルジェルツーではこのハシゴの原形ともいえるハシゴが登場します。



エチオピアでも濃厚な旅の始まりでした。コーヒー農園視察の順番でいえばイエメン、エチオピアは最後の方でも良いかもしれません。しかし、この2つを最初に見てしまうと今後のコーヒーの旅に影響が出そうな気がします。
ハラールの農園を夕方頃出発。到着はおきまりの9:00コース。今晩はハラールのホテルに泊まります。ハラールの町に入ったくらいの所で途中、車が立ち止まるとそこにハイエナ(野生、しかも5,6頭)に餌付けしている人がいるじゃないですか!生肉を50cm位の棒につけて食べさしてます。
動物園で見るよりデカイぞ、このハイエナ。しかもこのおっさん、「誰か餌付けしたい人いるか」などと言うではないか。一番乗りは森光さんの娘さん森光英会さん。つぎは岩見さん。英会さんに「伊福さんっ!」と呼ばれ「オレかっ!(内心餌付けしてみたかった)」と思いチャレンジ。野生のハイエナに餌付けした経験はちょっと自慢できる。
ホテルでの夕食は驚きでした。なんと小生、本日誕生日。しかももう一人同じ誕生日の方がいらっしゃるじゃないですか。それは鹿児島で「のんきな珈琲屋」を営む空飛ぶ(現役パイロット)桂さん。旅の前から誕生日をハラールで過ごすのか。とそれだけで深い思いに浸っていたのですが。ありがとうございます。

2人分のケーキ。この後切り分けられます。しかし、色の鮮やかな事。

2人分のケーキ。この後切り分けられます。しかし、色の鮮やかな事。

一生の思い出とはこうゆう事ですね。生涯忘れない一日です。

一生の思い出とはこうゆう事ですね。生涯忘れない一日です。



ケーキ

現地ホテルの方が切り分けてくれました。日本では当たり前に等分しますが、自由なカッティングです。
味は激甘。生クリームのジャリジャリした砂糖の食感は思い出の味です。



嬉しい。しかし気になる事が一つ。ハラールの村から帰る途中、妙に寒気がしてきて・・・。ヤバイ、熱がでてきた。ここで体調が崩れるとは。
部屋で汗を流して寝よう・・・が、シャワーの水が出ない。トイレも流れない。エチオピアの現状です。どうもこの辺りから体調を崩した方が増えてきたようです。あぁ、明日は念願のジェルジェルツーなのに・・・。


1月19日

今日はこの旅行最大の目的の一つジェルジェルツーに訪れる日です。イエメン「バニーイスマイル」に続き、モカコーヒーの聖地とも言える2代秘境の一つ。

・・・あぁ、しかし昨日の晩からの体調不良が響いてます。正直ヤバイ。行けるのか?そんな思いの中、朝食は喉を通らず。どうもここに来て体調不良は自分だけではないようです。連日のスケジュールは過密を極め、疲労も蓄積していったのは参加者同じようです。そんな我々をヤニ社長が助けてくれました。自宅で必要な人は注射を打ってもらい、薬を頂きました。私も薬をわけてもらったのですが、ヤニ社長「これはとてもデンジャーな薬だから2粒以上飲まないで」とのこと。・・・なにが入ってるんじゃ?そんな不安よりも体調を治す事優先。藁にもすがるおもいで薬を1錠だけ飲む事にしました。

準備が整った所で本日も長距離移動です。ジェルジェルツーまでの道のりは片道4時間半。ハラールの中でもかなりの奥地です。
途中、昼食に。何となく体は楽になってきたのに食事が喉を通らない。サンドイッチとバナナは食べれるときに食べようと思い。一錠じゃ効き目無いのかなと2錠目を飲む事に。

やがて到着です。自分がここまで来るとは思いもしませんでした。ハラールの奥地、ジェルジェルツー村。

農場は整備されています。苗は新しいものから古木までそれぞれ分けられています。

農場は整備されています。苗は新しいものから古木までそれぞれ分けられています。

古木の生い茂るエリアに入ります。どの木も樹齢100年を越える立派な木です。

古木の生い茂るエリアに入ります。どの木も樹齢100年を越える立派な木です。




この村でのコーヒーの植え方は地面に穴を掘りコッコのまま2~3個植えるために、一カ所からは複数の芽が出ます。
もう一つ特徴的なのはカットバックされていないということです。カットバックとは、木がある程度伸びた所で木の半分位の所から新芽を残しカットしてしまう方法で、木を太らせ収穫量を増やす方法です。カットバックされた木は枝葉を横に茂らせます。背の高さも収穫しやすい高さになるためコーヒー農園では一般的に行われている方法です。しかし、ここでは行われていません。何代も前に植えた先祖の木を切る事に抵抗があるようです。
結果、自然で強いコーヒーがここにある要因のひとつでもあるのです。

シェードツリーもコーヒーの木もスケールが大きい。外と木陰の温度差はかなり違います。

シェードツリーもコーヒーの木もスケールが大きい。外と木陰の温度差はかなり違います。

大きく健康なコーヒーの葉。葉脈がしっかりしています。

大きく健康なコーヒーの葉。葉脈がしっかりしています。



木は一カ所から4本から6本出ています。

木は一カ所から4本から6本出ています。

この立派なコーヒーの木もエチオピア政府の政策で切られるかもしれません。

この立派なコーヒーの木もエチオピア政府の政策で切られるかもしれません。




エチオピアの輸出産品の中でコーヒーが占める割合は65%と言われています。エチオピアにとってコーヒーは国を豊かにする貿易品目の一つです。
政府は生産量を増やすために生産性の悪い古い木を切り、新しい木を植えようとする政策があるそうです。貧しい農家を助け、生産現場の活性化には確かにこの政策の方が良いでしょう。しかし、犠牲になるものが余りにも大きいのではないでしょうか。コーヒーに限らず、過去にも生産性の向上のために駄目になった産業はいくらでもあります。私達はこの世界最古のコーヒー農園であろうこのジェルジェルツーのエリアを「世界遺産」に登録する事で農園を守り、正当な豆の価格で取引して(フェアトレード)行こうというのが目的の一つです。

樹齢200年を越える大きなコーヒーの木。高さは8mはあるのではないでしょうか? ここのコーヒーはまっすぐ上に伸びる特徴があるそうです。

樹齢200年を越える大きなコーヒーの木。高さは8mはあるのではないでしょうか?
ここのコーヒーはまっすぐ上に伸びる特徴があるそうです。

枝に実を付けたコーヒーの木。もちろんここでもドライオンチェリーで収穫されます。

枝に実を付けたコーヒーの木。もちろんここでもドライオンチェリーで収穫されます。




6代前のご先祖が植えたコーヒーの木を守り続けて、その子供達が農園を守っていく。昔から変わらないコーヒーを中心とした営みがここには残っています。

昔からある木(樹齢200年を越える木)はこの家族の6代前の先祖が植えたそうです。

昔からある木(樹齢200年を越える木)はこの家族の6代前の先祖が植えたそうです。

彼女の子供もおそらくこの地を守っていくのでしょう。

彼女の子供もおそらくこの地を守っていくのでしょう。



コーヒーの木

幹回りが80cm近くあるのではないでしょうか?コーヒーの木を育てた方なら判るかもしれませんが、幼い苗木は細い枝のようです。ここまでの幹回りになるのはどんなに大変か想像つくと思います。



この村でも、もちろん脱穀作業は行われます。木の臼でコーヒーの実を突いて脱穀していきます。これだけ重労働が重なるのに農民の暮らしは貧しいのです。これは、流通に問題があるのです。流通の手順はまず、コレクターと呼ばれる一次仲買人が担当の村を周りコーヒーを集め、ディレクターと呼ばれる2次仲買人がコレクター達から集荷して回ります。ディレクターはエクスポーターと呼ばれる最終業者に持ち込み、出荷されます。エチオピアにとって外貨獲得の重要な産業コーヒーは国に税金や手数料があらゆる段階で入る仕組みになっているのです。

脱穀はかなりの重労働。しかし、作業を行うのは女の子の仕事。脱穀後、彼女たちは豆をコレクターに売りに行く。

脱穀はかなりの重労働。しかし、作業を行うのは女の子の仕事。脱穀後、彼女たちは豆をコレクターに売りに行く。

コレクターがこの豆をいくらで買っているか判らないが、おそらくビックリするような値段でしょう。一粒たりとも無駄に出来ないと感じます。

コレクターがこの豆をいくらで買っているか判らないが、おそらくビックリするような値段でしょう。一粒たりとも無駄に出来ないと感じます。





ジェルジェルツーでの収穫の手順です。前日紹介したハシゴはステップが付いていましたが、ここではありません。おそらく、木の高さに合わせてハシゴの高さを調整するためでしょう。

1)くくりつけた3本の木を広げ足場を作ります。重心を確かめ固定します。

1)くくりつけた3本の木を広げ足場を作ります。重心を確かめ固定します。

2)足場の一つから勢いよく登ります。

2)足場の一つから勢いよく登ります。



3)筋力とバランス感覚ですね。軽々と登っていきました。

3)筋力とバランス感覚ですね。軽々と登っていきました。

4)組合わさったてっぺんに立ち上がります。足場は狭く不安定。

4)組合わさったてっぺんに立ち上がります。足場は狭く不安定。



5)収穫はこのように行います。手を伸ばした高さは6mにはなるでしょうか?とても登れません。

5)収穫はこのように行います。手を伸ばした高さは6mにはなるでしょうか?とても登れません。

足場を下から見た所。木を組み合わせて縛っただけの足場です。

足場を下から見た所。木を組み合わせて縛っただけの足場です。



近くで写真を撮りたいのに近くだと被写体が大きすぎて収まりません。3分割した写真を1枚に合成してみました。側で見る迫力が伝わるでしょうか?

近くで写真を撮りたいのに近くだと被写体が大きすぎて収まりません。3分割した写真を1枚に合成してみました。側で見る迫力が伝わるでしょうか?



薬が効いてきたのかなんだか変にテンションが上がってきました。凄いぞあの薬。本当に一体、なにが入っているのだ!良かった、復活。ここはエチオピア。たぶん日本では許可のでない成分や割合がクリア出来るのでしょう。この際、治ればいいのです。


帰国後、持ち帰ったアビシニアモカとイエメンモカの種を植えて育てていますが。この2種類、どちらも限りなく原種に近いはずなのに成長の仕方が違うのです。アビシニカモカは上に真っ直ぐ伸びて葉を付けるのに、イエメンモカ(ちなみにバニーイスマイルです。)は背が低く葉を大きく広げながら育っているのです。面白いですね。これからが楽しみです。

苗木の苗床。苗木は直射日光に弱いため藁で苗床を作ってました。この藁の苗床は水蒸気をまわす役割もあるようです。

苗木の苗床。苗木は直射日光に弱いため藁で苗床を作ってました。この藁の苗床は水蒸気をまわす役割もあるようです。

肥料は動物のフンとコーヒーの殻を合わせたもの。肥料は自然に分解され土になる。

肥料は動物のフンとコーヒーの殻を合わせたもの。肥料は自然に分解され土になる。




テンションも上がってきた所で、このハラールコーヒーのヤニ社長の説明を。ここのコーヒーの木はきわめて原種に近いのは環境や状況からも判断が付きます。これに加えヤニ社長は「コーヒーの原種はティピカやブルボンではなく、この村にあるようなコーヒーの木(アビシニカ)がコーヒーの母だ」と言っていました。真偽は定かではありません。学術的に検証していくべきでしょう。しかし、目の前にある木はその説得力のある立派な木である事には間違いないです。

藁の苗床で幼い苗木は10~12ヶ月間育てられます。その後、農園に植えられて長い月日をかけ育てられます。

ポットに入れられた苗。大切に育てられたコーヒーはいつの日か私達の口に届くでしょう。

ポットに入れられた苗。大切に育てられたコーヒーはいつの日か私達の口に届くでしょう。



我々、消費者が意識していく事で守られる味もあります。この村を訪れて感じた事は私の珈琲屋としてのこれからを決定づけた場所でもありました。この大切なものを伝えたい。最高のモカコーヒーを飲んでもらいたい。このための努力はなんでもする覚悟を決めた一日でもありました。


1月20日

体調不良もすっかり治り、前日の「風土病かっ!」と焦るような寒気はなんだったのだろう?昨日、受診して体調が悪かった人や、調子を壊していた人。何故かこの日、殆どの人が復活。
・・・恐るべし、エチオピアメディスン。

エチオピア到着の最初の日に「食事が合わない」と書きましたが、伝統的エチオピア料理が出たのはその日だけで、ホテルの朝食等はパン、サラダといった洋食、昼はほとんどヤニ社長の所で食べさせてもらえたため、助かりました。ヤニ社長宅のご飯は旨い。スパゲティはあるし、スープもあるし、どうゆう訳か神戸牛は出てくるし。贅沢、おなかいっぱいです。しかも食後に珈琲!!(イエメンではインスタントしか飲めなかった。)ハラールの美味しい珈琲は久しぶりの香りと余韻を楽しめました。

今日は昼まで、ハラールの町を見学。2:15分の便で首都アディスアベバに向かう予定です。大きな日程も終わり、参加者の顔には満足感と気持ちのゆとりが出てきているように思いました。

ホテルから近く、ハラールの町の様子

ホテルから近く、ハラールの町の様子

旧市街の家の一つ。ここではこのようなタイプの家か漆喰の家か2タイプに分かれる。

旧市街の家の一つ。ここではこのようなタイプの家か漆喰の家か2タイプに分かれる。




やっぱり、基本的にエチオピアという国は貧しいです。まず第一に流通しているお金がクシャクシャで文字が見えないくらい汚れている。エチオピアのお金の単位は「ブル」。1ブルが約12円。物価は日本から見るととても安い。買い物ではこの1ブル札をよく使ったが、返ってくるお釣りがもの凄く汚いのです。一般流通する紙幣の汚れている程度は国の豊かさに比例するのです。

第2に、路上での人々の服装や衛生状態。イエメンにいたときには物乞いや衛生状態の悪い人は余り見かけなかった。しかし、ここではハッキリしている。貧困者はすぐに判るし、明らかに衛生状態が悪い。イエメンでもエチオピアでも生水は飲んではいけないが、エチオピアはシャワーの水ですら危険に感じた。うがいもミネラルウォータを使ったほどである。
ちなみにヤニ社長宅の水道は一度集められて煮沸後、水道を通るようになっています。単純に資本主義社会の強烈な貧富の差なのです。

フランスの天才詩人ランボーが住んでいた家。

フランスの天才詩人ランボーが住んでいた家。

現在、中は資料館。ランボーが手にしたであろうフランス語の資料が閲覧できます。

現在、中は資料館。ランボーが手にしたであろうフランス語の資料が閲覧できます。



二階に上がれます。階段の作りは丈夫で木の組み合わせが美しい。

二階に上がれます。階段の作りは丈夫で木の組み合わせが美しい。

午前中で30度近くまで温度は上がります。湿度がないために日陰は涼しく感じます。

午前中で30度近くまで温度は上がります。湿度がないために日陰は涼しく感じます。



一階から二階は吹き抜けになっており、現在は写真が展示されています。

一階から二階は吹き抜けになっており、現在は写真が展示されています。

二階の窓はステンドグラスで装飾されています。窓からはハラールの街並みがみえます。

二階の窓はステンドグラスで装飾されています。窓からはハラールの街並みがみえます。



詩人ランボーの写真

詩人ランボーの写真。今から約100年前に36歳の生涯を閉じた天才放浪詩人。イエメンのアデンにも彼は住んでいた。アフリカ大陸を目指していた彼にはハラールはどのように写ったのだろうか。



午前中のハラール見学後、再びディレダワのヤニ社長の所へ。昼食後、エチオピア・コーヒーセレモニーを見せてくれるそうなので期待。

吉祥寺「もか」専用の麻袋。通称「標モカ」と呼ばれている逸品。

吉祥寺「もか」専用の麻袋。通称「標モカ」と呼ばれている逸品。

もちろんモプラコ社自慢の「ハラールスター」。

もちろんモプラコ社自慢の「ハラールスター」。




エチオピア到着当日にコーヒーセレモニーは見たのですが、より正式なやり方のこちらで解説します。始まりから終わりまで約1時間。エチオピアでは1日に2~3度行われる日常的なコーヒータイム。
しかし、日本の茶道と通ずる所があります。

コーヒーセレモニーを行う場所は青草が敷きつめられます。

コーヒーセレモニーを行う場所は青草が敷きつめられます。

1)七輪に炭をおこします。七輪はケセルマンチュッシャと言います。

1)七輪に炭をおこします。七輪はケセルマンチュッシャと言います。



七輪は2種類。香を焚く(小さい方)七輪と主に使用する七輪。

七輪は2種類。香を焚く(小さい方)七輪と主に使用する七輪。

2)コーヒー豆を鉄鍋に入れ、水で数回洗います。(けっこう汚れてます。)

2)コーヒー豆を鉄鍋に入れ、水で数回洗います。(けっこう汚れてます。)



3)鉄鍋を七輪にのせ、かき混ぜ棒で混ぜながら焙煎します。鉄鍋は(ブランドムタット)

3)鉄鍋を七輪にのせ、かき混ぜ棒で混ぜながら焙煎します。鉄鍋は(ブランドムタット)

4)焙煎終了間近。かなりの煙です。ちなみにかき混ぜ棒は(マクラヤ)

4)焙煎終了間近。かなりの煙です。ちなみにかき混ぜ棒は(マクラヤ)



5)コーヒー色に焙煎が進むと終了。籐で編んだ様な皿(スセット)に豆を移し、水を手で軽くかけ豆を冷却します。参加者に上手く煎れたかどうかと、香りを確かめてもらいます。

5)コーヒー色に焙煎が進むと終了。籐で編んだ様な皿(スセット)に豆を移し、水を手で軽くかけ豆を冷却します。参加者に上手く煎れたかどうかと、香りを確かめてもらいます。


6)炭をおこしていた小さい七輪はお香を焚く香台(ウタルマンチュッシャ)。香を焚き始めると凄い煙です。

6)炭をおこしていた小さい七輪はお香を焚く香台(ウタルマンチュッシャ)。香を焚き始めると凄い煙です。

7)素焼きで出来たポット(ジャバナ)に水を入れ沸かします。

7)素焼きで出来たポット(ジャバナ)に水を入れ沸かします。



8)お湯を沸かす間、焙煎豆を粉にします。臼(モカチャ)の中に豆を入れ、杵(ゼナゼナ)で突きます。

8)お湯を沸かす間、焙煎豆を粉にします。臼(モカチャ)の中に豆を入れ、杵(ゼナゼナ)で突きます。

9)コーヒーをポットの中に入れ、コーヒーを煮出します。

9)コーヒーをポットの中に入れ、コーヒーを煮出します。



10)用意されたカップ(セニ)。大きさは小ぶりの湯飲みくらい。

10)用意されたカップ(セニ)。大きさは小ぶりの湯飲みくらい。

11)沸騰したらカップに何度か注ぎ抽出の具合を確かめます。

11)沸騰したらカップに何度か注ぎ抽出の具合を確かめます。



12)十分に抽出できたら一度ポットをポット敷き(ジャバナマンチャッシュ)に傾けて粉を鎮めます。

12)十分に抽出できたら一度ポットをポット敷き(ジャバナマンチャッシュ)に傾けて粉を鎮めます。

13)注ぎ口に棒を当て(繊維状のものを詰める場合もある)粉を濾しながら注いでいく。

13)注ぎ口に棒を当て(繊維状のものを詰める場合もある)粉を濾しながら注いでいく。



パンケーキ

ポットの粉を起き鎮める時に、七輪の残り火でおつまみにポップコーンやパンを作るらしいのですが、我々のためにバナナの葉で包んで焼き上げるパンケーキが用意されていました。食感はパウンドケーキのようですが甘みがなく腹持ちの良い感じでした。



カップに注ぎ分けられたコーヒーは主賓や長老から配られていきます。
一番目に抽出されるコーヒーは(アボール)と呼ばれ、香り高く深い味わいのコーヒーでした。2番目に抽出されるコーヒーは(タウナまたはフルテンヤ)と呼ばれ、伝統的な飲み方は塩を入れるそうです。最近では砂糖を入れる事もあるそうです。3番目に抽出されるコーヒーは(バラカまたはソステンヤ)と呼ばれ、バター、香辛料、香草を入れて楽しむそうです。今回は2番目、3番目のコーヒーはなにも入れず頂きましたが、中国茶と同じようにコーヒーも何煎か楽しむ方法に興味が持てました。
おいしかったです。ごちそうさまでした。

テイスティング

ここは世界基準の品質を管理する設備が沢山あります。その中の一つ、テイスティングを行うテーブル。
コーヒー鑑定士のようにコーヒーをスプーンですくい、口内に「ズズッ」とすすり、味を判断します。



和やかな雰囲気の中、コーヒーの香りとともに心がリラックスしていきます。旅は終わりに近づき、長いような、短いような奇妙な実感が沸いてきたのもこの頃からです。4日後にはカウンターに立っているであろう自分に心の準備を整えながら。

お香を焚いている間、煙はエチオピアの光を柔らかな姿に。

お香を焚いている間、煙はエチオピアの光を柔らかな姿に。

スーパーショット!。こんな事がない限り次はあるのでしょうか?左、森光さん。中央、ヤニ社長。

スーパーショット!。こんな事がない限り次はあるのでしょうか?左、森光さん。中央、ヤニ社長。




コーヒーセレモニーの後は別の場所にある工場を見学です。機械によって大まかに選別されたコーヒー豆は最終的に人の手でチェックされて袋詰めされます。ここにはモプラコ社のあらゆるコーヒー豆の種類がありました。
選別は一つのテーブルに5~6人。テーブルは広く、若干の傾斜があります。手元には溝があり、欠点豆を溝に落とす仕組みになっています。傾斜下側に麻袋が付けられており、そこに良い豆を入れていく仕組みになっています。ハンドピックにはピッタリの作業台です。

コーヒーの山。気が遠くなる作業量です。

コーヒーの山。気が遠くなる作業量です。

産業をコーヒーに委ねている姿の一端。

産業をコーヒーに委ねている姿の一端。




ここで行われている光景を目にすれば安易にコーヒーを粗末には出来ません。一粒一粒が尊く思えてきます。イエメンやエチオピアで見た光景と内面との意識改革がはたして、これからどのように味に影響してくるのか?これからが楽しみです。
工場見学後、14:15分の便でディレダワからアディスアベバへ。ハラールでの体験は一生忘れる事がないでしょう。


1月21日

早朝、アディスアベバのホテル。このツアーお決まりの7:00朝食、8:00荷物出しも今日と明日を残すのみになった。朝からホテルにはヤニ社長の姿が。今日はアディスアベバの工場見学とオークションセンターの見学です。
モプラコ社の工場は大きく、コーヒー以外の産業も手がけているようだった。工場はこれから大きな機械が入るであろう場所、および事務所の施工中でもあった。事務所にはサンプルロースター、グラインダー、カッピングテーブルなど新品の機材がビニールのかかったまま設置されていた。次にこの場所を訪れる機会があればこの施設はもちろん稼働を始め、世界に向けてコーヒーを送り出す拠点の一つになるのでしょう。

工場を後にしてオークションセンターの見学です。エチオピアにはオークションセンターが2カ所あり、ここアディスアベバとディレダワにあります。ディレダワではハラールコーヒーが集められ、オークション後輸出。アディスアベバではエチオピア北西部から南西部のウォレガ・カッファ・シダモなどのエリアのコーヒーがオークションセンターに集められ輸出されます。

オークションセンターに業者は大型トラックで豆を積んでやって来る。

オークションセンターに業者は大型トラックで豆を積んでやって来る。

トラックには1台辺り10tの豆が積載される。

トラックには1台辺り10tの豆が積載される。



品質検査はランダムに麻袋を選びサンプルとします。中にはサンプルを取る段階で帰らされる業者もあるとか。厳しく採点されます。

品質検査はランダムに麻袋を選びサンプルとします。中にはサンプルを取る段階で帰らされる業者もあるとか。厳しく採点されます。



麻袋から抜き取られたサンプルはサンプルロースターで焙煎後、カッピングが行われます。基本的にカッピングは産地がふせられます。まったくのコーヒーの味覚としてのテストが行われます。検査終了後、豆はオークションセンターでバイヤーにオークションされます。

奥、業者が持ち込むトレーラーとカッピング等が行われるセンター。

奥、業者が持ち込むトレーラーとカッピング等が行われるセンター。

オークション会場は別の場所にあります。

オークション会場は別の場所にあります。




オークション会場の中ではサンプルの豆が並べられ、バイヤーは真剣な様子でコーヒーを競り落としていました。輸出業者によるオークションは週5日、収穫最盛期には1日2回行われるそうです。オークションと言っても一般の人が競り落とす事は不可能で、エチオピアで輸出できる権利を持った人のみが参加できます。しかも、輸出するためには必ずオークションを通さねばならないために豆を持ち込んだ会社が自分の所の豆を競り落とすのが一般的です。ゆわば、輸出の通過儀礼でもあるのです。

壁際に並べられたサンプル。はさんである用紙にはあらかじめテストされたカッピングの採点が記入されている。

壁際に並べられたサンプル。はさんである用紙にはあらかじめテストされたカッピングの採点が記入されている。

記入はカッピングの採点以外に、収穫エリアや収穫日、品種など細かく記入されています。

記入はカッピングの採点以外に、収穫エリアや収穫日、品種など細かく記入されています。



オークションの様子。次々と豆のデータを読み上げていき競りにかけます。

オークションの様子。次々と豆のデータを読み上げていき競りにかけます。

書き込まれたデータの項目はウオッシュタイプかサンドライかで若干異なります。

書き込まれたデータの項目はウオッシュタイプかサンドライかで若干異なります。




バイヤーの後ろ側には品質ではじかれたコーヒーがありました。もの凄く酷い豆です。欠点豆を寄せ集めたような感じです。これは見るからに飲みたくありません。
オークション会場を後にして訪れたのはオークションセンターの中央部。ここではカップテストや焙煎が行われています。

サンプルロースターはプロバット。世界基準ですね。

サンプルロースターはプロバット。世界基準ですね。

テーブルにはあらゆる産地の豆が全てテストされます。テスターが知るのは豆に着いているコードだけで、産地などは伏せられています。

テーブルにはあらゆる産地の豆が全てテストされます。テスターが知るのは豆に着いているコードだけで、産地などは伏せられています。




輸入業者のデータだけでなく、輸出業者がどのようにコーヒーを判断しているか?このことは今後のコーヒー選びに重要であることを強く認識しました。あらゆる側面から光を当て、自分が良いと思ったものを選んで行かなくてはなりません。側面を知る貴重な財産の一つになりました。

このオークションセンターの所長。日本から来た我々に挨拶して頂きました。

このオークションセンターの所長。日本から来た我々に挨拶して頂きました。

サンプルが広げられています。この場所から世界中にエチオピアのコーヒーが船出します。

サンプルが広げられています。この場所から世界中にエチオピアのコーヒーが船出します。




見学後、エチオピアでお世話になったヤニ社長ともお別れです。いつかまたお会いできる日があれば嬉しいですね。
これでイエメン、エチオピアの「コーヒーの旅」日程終了です。この後はようやく買い物。おみやげを買い、お目当てのコーヒーセレモニーセットを買い(店に飾ってあります。興味のある方は見に来てください。)緊張の糸はすっかりほどけてしまいました。夕方の食事は中華料理。旅が始まってほとんどが現地食だった我々にこの味は懐かしく感じました。中華料理とビールはごちそうでした。
夕方の便でサナアに戻ります。到着予定は23:00。


1月22日

モカコーヒーの旅もいよいよ最後です。旅の緊張もすっかりなくなり、フィルムもなくなりで、写真が2点しかありません。あしからず。

サナアのホテルを午前8:30出発。名残惜しいイエメンの風景を目に焼き付けながら空港へ。10:10分発、アラブ首長国連邦・ドバイ行きの飛行機に。イエメンからドバイまでは約3時間半。13:50分着。

ドバイは凄いです。石油のビッグマネーは錬金術のように何もなかった土地に巨大な街を作り上げました。イエメンの後だと同じアラブとは思えません。

ホテルとしては世界一の高さ(エッフェルより高い)のバージュ・アル・アラブ・ホテル。もちろん高級ホテル。

ホテルとしては世界一の高さ(エッフェルより高い)のバージュ・アル・アラブ・ホテル。もちろん高級ホテル。

ホテルの下はビーチです。そこをラクダが歩いている風景はちょっと「いかにも」な感じです。

ホテルの下はビーチです。そこをラクダが歩いている風景はちょっと「いかにも」な感じです。




ドバイは人口の7割~8割が外国人という国際的な都市です。街を二分するようにクリーク(運河)が流れ、運河をわたるためになんと運河の上と下に道路を作っちゃたから驚きです。
1833年に新首長国を成立してからの主な産業はダウ船の造船、アラビア湾での真珠養殖でした。しかし、1930年。日本で真珠の養殖技術が開発され、大打撃を受け、また世界恐慌とも重なったためドバイの経済は低迷していきました。後、1950年にドバイの新首相が石油発掘作業の基礎を作り、1966年に油田を発見。いまや世界に誇る都市にまで発展しました。

途中、ドバイ博物館に立ち寄りました。ドバイが30年でどれだけ成長したかよくわかる博物館でした。昔の町並みが再現されていたり、(町並みの中には蝋人形とCGホログラフで動く人が。)昔の映像があったり。
再現された町並みや生活の様子は面白くなかった。リアルな生活を体験した後ではリアルを感じられなかった。イエメンのスーク(市場)ではドバイ博物館の暮らしが今も続いている。
アラブ諸国に属するイエメンは歴史ある街です。しかし、他のアラブ諸国からは「アラブの田舎」と軽視されることもあるのが現状です。これはイエメンの後進性、保守性、乳幼児の死亡率、文盲率、国民所得。これらがアラブ世界の最低線に位置するからという根拠がある。
しかし、イエメン人はそう思っていない。自分たちはアラブの源流」だと自負している。たしかに、アラブ諸国の王族や貴族出身者の家系をたどると古い血筋はだいたいイエメンに還る。このことはアラブ世界では広く認められている。
しかしいくら血筋が純アラビア人だとしても現実では「現実問題」が首をもたげる。多くのイエメン人は成人するとサウジアラビアに出稼ぎに行く。
数年でイエメンでは稼げない額を稼いで車を買って帰るのがより良い生活のために必要な事であるのは事実。数年間を外国で暮らし、「アラブの田舎」と軽視される環境の中でより良い生活のお金や結婚資金を稼ぐのです。
おそらく同時に、より良い祖国を創ろうという気持ちも持ち帰っているに違いないと思います。
イエメン国内でも現在、内陸部での石油・ガスの産出が期待されています。これは他国からの個人的エゴですが、豊かになって欲しい反面かわって欲しくない思いがあります。

出発待ちのホテルでテレビをつけたら、イエメンの事をニュースで取り上げていました。ニュースを読み上げるアラブ人は男女ペアでスーツを着ていました。その中でのイエメン人はソウブ(長衣)にジャンビーアの出で立ちです。おそらくジャンビーアのニュース特集だったのでしょう。ジャンビーアダンスを踊るイエメン人をドバイのホテルで見ると本当に同じ中東なのかという思いでした。
アラブの源流である誇りをイエメン人が失わない限り、ジャンビーアを腰に差している限り、純朴で優しい人たちでいて欲しいと思いました。

 


1月23日

ドバイのアスコットホテルでは夕食後、体を休める時間に。
22日の日付が変わる頃、荷物をまとめロビーに集合。
濃密な旅の終わりは簡単に訪れた。

実に不思議な旅だった。ありきたりの「楽しくて、あっという間の時間でした。」なんて感想はありえない。日程の全て、一日ごとの内容がとても濃密ゆえに「充実」としか言いようがなかった。

イエメンにはもう一度、足を踏み入れる。
と、心で誓い。ホテルを出発する。
フライトは午前2:30分。

ドバイ国際空港は深夜にもかかわらず「関係ないね」って顔で稼働していた。流石は世界のVIP御用達空港。免税店、売店、そして装飾品が輝いていた。UAEは金の相場が決まる場所だけあってショーケースの中は金ピカ。
ここドバイが世界で一番、金が安く手に入るそうです。通常、日本で金と言えば「18金」。でもここドバイには「24金」が存在します。この数値は金の純度の違いだそうで。
たしかに、「24金」は赤みを帯びた輝きでした。
・・・いくら世界一安いっ。って言ってもボクには高い物でした・・・

残り12時間程のフライトで日本に到着なんて不思議な感じです。旅の終わりは何処に行ってもこの感じですね。
フライト中、機内食はバッチリ食べて、映画観て、軽い睡眠を取れば、じわりと現実に引き戻される緊張感を心地よく味わいながらの帰途でした。

大阪空港には4:00頃到着。それぞれが旅の仲間と再会を誓いながらの別れでした。

幸福のアラビア探検記の第一章が終わりました。また何年後かに第2章を書きますので、次回を楽しみにしてください。


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